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第61回 現代物理学と量子論 3−2 前期量子力学(3)物質波

 2018/05/6

                          

量子の性質、量子は波動性と粒子性を持つ
 エネルギーがとびとびの値を持ち、波と思われていた「光」は、とびとびの値と粒子性を持つことが分かった。ニールス・ボーア(1885〜1962年、デンマーク)は、原子の中にある電子もとびとびの値を持つと考えて電子の性質を説明、粒子だと思われていた「電子」には「物質波」という波の性質があることが明らかにされた。エネルギーと光が量子化され、電子も量子になった。
  ボーアは、英国のキャヴェンディッシュ研究所のJJトムソンの下でラザフォードの原子模型を研究し、ボーアの原子模型を完成させた(1913年)。ボーアは、原子の中に原子核と電子があるという原子の構造を明らかにし、原子核という言葉をはじめて使った。(前期量子論の第2段階)。
 ボーアは、量子力学、原子物理学に数々の貢献をし、ノーベル物理学賞を受賞(1922年)、コペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き、外国から著名な物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルク、エルヴィン・シュレーディンガーらを招いて研究を行い、コペンハーゲン学派を形成した。
   
ルイ・ド・ブロイによる「物質波の仮説」
  ルイ・ド・ブロイ(1892〜 1987年、フランス)は、電子以外にも存在する「物質波の仮説」を主張、自らの博士論文の中で発表した(1924年)。量子力学における重要な式、「アインシュタイン=ド・ブロイの関係」が得られた。
 
アインシュタインの関係: (エネルギー=プランク定数×振動数)
ド・ブロイの関係: (運動量=プランク定数/波長)
   ド・ブロイ兄弟は、兄のモーリス・ド・ブロイは実験物理学者(X線回折、分光学)、弟のルイ・ド・ブロイは理論物理学者である。ルイが提出した物質波に関する博士論文は、学位審査員には理解されなかったが、部外者として意見を求められたアインシュタインは、これを高く評価し、ルイ・ド・ブロイは博士号を取得することができた。当初は孤立したド・ブロイの理論もやがて電子回折の実験などによって実証が進み、ド・ブロイにノーベル物理学賞が授与された(1929年)。
   アインシュタインの関係は、光が光量子として持つエネルギーを波の振動数で示し、ド・ブロイの関係は、物質の持つ運動量が波の波長で表わされることを示している。これは、光だけでなく全ての物質が波動性を持つという仮説から導かれている。光の場合、アインシュタインの式から光量子の運動量は 、 と示されたが、ド・ブロイの式では、電子に限らず光子を含む広く量子を一般化したものとなっており、粒子を特徴づけるもの(運動量 p とエネルギー E )と波動性を特徴づけるもの(周波数 f と波長 λ)を結び付け、粒子性と波動性という量子の持つふたつの性質を簡潔に定式化した。
   佐藤勝彦先生の説明によると、「物質波である電子は、誰も見ていないときは波であり、観測されるときは必ず粒子になるため、誰も波である電子を観測することがない」。これも、量子力学によって明らかにされていった量子の本質である。
   プランクが、エネルギーの量子化を行った時に導入した「プランク定数」 (Plancksches Wirkungsquantum、プランクの作用量子)は、「アインシュタイン=ド・ブロイの関係」のいずれの式にも現れる極めて重要な物理学の基礎定数となった。
   プランク定数は、SI単位では、作用の次元を持ち、6.626070040X10-34Jsの値が示されている。プランク定数は、エネルギーの量子化に関するものであるため、桁外れに小さな値となっている。
   プランク定数をで割った量もよく使われ「換算プランク定数」あるいは「ディラック定数」の名前がある。記号はストローク符号を用い、   と定義され、アインシュタイン=ド・ブロイの関係は次のように書き換えられる。
 
アインシュタインの関係: (エネルギー=換算プランク定数×角周波数)
ド・ブロイの関係: (運動量=換算プランク定数×角波数)
   
エネルギー、光、電子の量子化
   20世紀初頭の前記量子論を極めて短くまとめると、マックス・プランクによるエネルギーの量子化、アインシュタインによる光量子説、ボーアによる電子の量子化、ド・ブロイによる物質波の概念、といったように並べることができる。ガスの科学の基礎、大雑把な知識としては経緯を大雑把に知っておけばよさそうに思えるが、それまでの科学を根底から覆し、19世紀までを古典物理学、20世紀以降を現代物理学として科学を大きく二分する出来事は、こんなに簡単にはまとめられない非常に重い歴史がある。
 特に20世紀の最初の四半世紀、科学は極めて大きな変革期にあり、プランクやアインシュタインなど、量子論に深く関わった天才といえども、はじめから全て理解していた訳ではない。自らが導いた理論ですら当初は信じられないことも多かったという。
  量子論に賛成する人たちと反対する人たちとの間の大いなる科学的議論の末に、量子論は確立されていったものであり、今日信じられている様々な科学の解釈や帰結が20世紀の前半までに得られることなる。そして20世紀と21世紀は科学技術の時代となった。
 
  20世紀後半以降に生まれた人々にとって、量子論は科学の常識であるが、量子論が確立されるまでの四半世紀には数々のドラマがあり、多くの著者による科学の啓蒙書には、量子論・相対論の誕生・確立を巡る逸話が記されている。
  特に量子が持つ波動性と粒子性の二重性の問題や不確定性の問題に関しては、それらを発見した大科学者であっても悩みや迷いがあり、真っ直ぐに結論に突き進んだわけではない。
  森田邦久氏の著した「アインシュタインVS.量子力学」には量子力学の確立までの詳細が解説されており非常に約に立ちそうである。
  17世紀に始まる「ガスの科学」は「物質の科学」であり、20世紀の物質の科学はエネルギーと時空の科学である。ガスの科学(原子、分子)や化学(分子)の理解には量子論、相対論という現代物理学が必要である。
   19世紀末から20世紀初頭の科学の年表を簡単に整理すると次のようになる(多くの部分は森田邦久氏の著書を参考にしたが、少し異なる部分もある)。
 
1805年 ヤング 光の二重スリット実験。光の波動説が優位となる
1850年 ウィリアム・トムソン 運動エネルギー(トムソンの造語)の概念
1854年 クラウジウス 熱力学第二法則を確立
1857年 クラウジウス 分子運動論に分子の内部自由度の概念を導入、空気中の酸素が二原子分子であることを証明。
1858年 クラウジウス 分子の平均自由行程の概念を提唱
1865年 クラウジウス エントロピーの概念を提唱
1868年 ロッキャー 太陽光の中にヘリウムを発見
1869年 メンデレーエフ 周期表を発表
1879年 シュテファン 黒体放射の全エネルギーはエネルギーの4乗に比例することを発見
1884年 ボルツマン シュテファンの発見を理論的に解明。シュテファン=ボルツマンの式
1890年 ヒレブランド 閃ウラン鉱から化学的反応性のないガス(ヘリウム)を発見したが窒素と間違えた
1893年 ヴィーン 黒体放射スペクトルの一般形「ヴィーンの変位則」を発表
1895年 レイリー、ラムゼー、オルショウスキー 新元素アルゴンを空気中から発見
  ハンプソン 空気の液化サイクルを発明、ラムゼーによる希ガスの発見につながる(ネオン、クリプトン、キセノン)。また、この発明によって酸素の製造法がブリンプロセスから深冷分離方に変わることになる。
  ラムゼー 地球上ではじめてヘリウムを発見
1896年 ヴィーン 黒体放射スペクトルの分布を表す「ヴィーンの式」を発表
1897年 JJトムソン 電子を発見
1898年 ラザフォード 原子核の崩壊を発見

1900年6月

レイリー 黒体放射が温度の自乗に比例することを発見。「レイリーの式」を示す
9月   ヴィーンの式が赤外領域で成立しないことが実験的に明らかとなる
10月 プランク プランクの式を発表。黒体放射スペクトル分布の実験結果をよく表すことがわかった。
12月 プランク 作用量子仮説を提唱。エネルギーは不連続の値を持つことを示す。
1905年3月 アインシュタイン 光量子論文を提出。論文の中でレイリーの式を導出、係数も正確に与えた。
5月 レイリー レイリーの式の係数を提示
5月 アインシュタイン 分子の大きさを決める手法を発表(博士論文)
6月 アインシュタイン 分子の存在を証明するブラウン運動の論文を発表
6月 アインシュタイン 加速度のない慣性系に対する電磁気学および力学の新理論を発表、後に「特殊相対性理論」と呼ばれる。
6月 ジーンズ レイリーの式の係数の誤りを指摘、以降レイリーの式は「レイリー・ジーンズの式」と呼ばれる。
9月 アインシュタイン エネルギーと質量の等価を示す式を提出 E=mc2
1906年 アインシュタイン 量子仮説に基つく固定比熱の計算を提示
1907年 ラザフォード アルファ線を発見。これによって物質の構造を解明する科学が大きく進展する。
1910年 リンデ親子 深冷空気分離装置で酸素と窒素を同時に生産する「ダブルカラムプロセス」を発明。
12月 ラザフォード 原子核の存在を実験的に証明、ラザフォードの原子模型を提唱
1913年 ボーア 原子内部構造論を提唱。量子飛躍を発見。
電子が粒子であれば、角運動量保存則によって軌道電子がすぐに原子核に墜落してしまうという問題が、電子を波ととらえることによって解決された。
1916年 アインシュタイン 量子仮説とボーア理論を統合した放射理論を提唱。太陽から地球までの真空中を光が届く仕組みを説明。
1920年 ラザフォード 中性子を予言
1923年5月 コンプトン コンプトン効果の発見。物質に照射したX線の波長が長くなる(エネルギーが減少する)現象が発見され光の粒子性が証明される。
9月 ド・ブロイ 物質波の概念を提唱。光だけでなく電子にも粒子と波の二重性があることを指摘。
初期の量子論では、物質であり実体がある「粒子性」と現象であり実体のない「波動性」の性質が場面によって使い分けられることが多い。
1924年2月 ボーアら 光の粒子性を否定するためのBKS提案(Bohr-Kramers-Slater theory)。
6月 ボース 光の粒子性からプランクの式を導出。この発見をアインシュタインに手紙で届ける。ボース=アインシュタイン凝縮予言につながる。
1925年4月 ガイガー、ボーテ ガイガー=ボーテの実験によりBKS理論が反証される。
9月 ハイゼンベルク 行列力学の提唱
12月 シュレーディンガー 波動力学の提唱。数学的に難解で粒子性に力点を置く行列力学に対して古典的で連続的な波を取り扱うため多くの科学者に支持される。
後に、粒子的描像と波動的描像はいずれも、同じ量子の記述であることが証明された。
1926年7月 ボルン 確率解釈の提唱、波動関数の自乗を状態確率とする。
1927年5月 ハイゼンベルク 不確定性関係を発表、不確定性原理の解釈をめぐる論争へ
10月 第5回ソルベイ会議 アインシュタインが量子力学の統計的記述を批判
1928年 ヘルマン・ワイル 不確定性原理の定式化「ハイゼンベルク・ワイルの式」
1930年10月 第6回ソルベイ会議 「アインシュタインの光子箱」、量子力学への批判
1931年 パウリ ニュートリノ仮説によってベータ崩壊を説明
1932年 チャドウィック 中性子の発見
1934年 ボーア パウリのニュートリノ仮説を批判。エネルギー保存則の破れを提唱
1935年5月 アインシュタインら EPR論文。量子力学的記述への批判
1953年 ライネス ニュートリノを発見
 
 ガスの科学にとって重要な発見は、分子というものが実在すること、分子を構成する原子は、「非常に小さな粒」であり、その原子は原子核とその周囲、およそ原子の大きさの範囲に電子が存在して構成されているという20世紀の新たな知見である「原子模型」である。非常に小さな「粒」は同時に、「波」でもあり、その量子の持つ二重性は原子や分子を理解する上で非常に重要な性質でもある。
  非常によく見かける、原子核の周りを電子が回っている図は原子模型としては、電子が粒子として描かれている点が間違っている。原子の中の軌道電子が粒子であれば、負の電荷を持つ電子はすぐに正の電荷を持つ原子核に「墜落」してしまうことになるが、ボーアは、波である電子は安定して存在することが可能であることを示した。
    正しい原子模型は「ボーアの原子模型」である。波として存在する電子を図示することは困難であるため、粒子である電子がぐるぐる回っている図が教育資料などでもよく用いられるが、これが量子の理解を誤らせることにもつながっている。
  量子が持つ波動性と粒子性の二重性の理解に関する解説は、量子力学の様々な場面で現れる。量子は、波として存在し、粒子として観測され、二つの性質を「同時に持つ」という表現もわれわれが普段が考える同時という概念とは異なるようで、観測者の立場によって波にも粒子にも見えるという「不思議な量子の世界」を明らかにしていった天才のひとりがニールス・ボーアである。
 
 「ボーア革命」レオン・ローゼンフェルト(ベルギー)著、江沢洋訳。
  アーネスト・ラザフォードが原子核の存在を発見、長岡半太郎やペランが原子核の周りをまわる電子という「原子模型」を提唱したが、ニールス・ボーアは、量子力学によって新たな原子模型を確立していった。この本には、その過程が解説されている。
  ボーアの起こした革命は、シュレーディンガーによる電子の波としての記述(波動力学、シュレーディンガー方程式)とハイゼンベルクによる量子の行列式による記述(行列力学)の二つの流れに発展していった。