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第27回 実在気体の科学(1)気体の液化、マイケル・ファラデー
 2017/11/20
修正 11/20

マイケル・ファラデー(Michael Faraday)
 マイケル・ファラデー(1791〜1867年、イングランド)は、電磁場の基礎理論を確立したことで知られる19世紀初頭を代表する物理学者である。SI単位における静電容量の単位「ファラッド(F)」と物理定数である「ファラデー定数(F、1モルの電荷)」に名前を残している。
 ファラデーは、物理学と化学の二つの大きな世界での貢献だけでなく、電気化学や実学の世界にも大きな業績を残している。電動機(電動モーター)や発電機の発明は、20世紀から21世紀にかけての文明社会に大きな影響を与えた。環境科学(水質や大気汚染)や安全工学、広く一般の人々にも語りかける科学教育など、ファラデーがのこしたものは非常に大きい。
    ファラデーは、学校教育を受ける機会を持たなかったが、独学で科学を学び、ハンフリー・デービー(17781829年、イングランド)の助手となり、数々の結果を残した。
 項目だけをあげてもその業績には目を見張るものがある。
 @物理学における電磁場の基礎理論を確立
 A電磁誘導の法則の発見
 B反磁性の発見
 C電気分解の法則の発見
 D電磁気を利用して回転する装置(電動機)の発明
 Eベンゼンの発見
 F酸化数の体系を提唱
 G気体の液化、気体と液体が同じ物質であることの実証
 H化学用語の確立(イオン、電極、アノード、カソード)
 I工学分野での貢献。灯台建設・運用、船の防食技術、炭鉱爆発事故の調査・研究

その他に、ファラデーの人格を評価するいくつものエピソードがある
 @科学教育、啓発に熱心に取り組み「ろうそくの科学」を著した
 A 貴族の称号を辞退し続けた
 B政府から依頼された化学兵器の開発を拒み続けた
物理学者ファラデー
   ファラデーはデービーの助手として物理と工学の分野で頭角を表わしていった。デービーらが失敗した電動機を完成させたが、これを許可なく公表したとしてデービーの怒りを買い(1821年)、デービーは、ファラデーが電磁気の研究を行うことをやめさせ、王立協会の会員になることにも反対した。しかし、ファラデーが電磁気学の分野で行った数々の発見や発明は、ジェームズ・クラーク・マクスウェルやアルベルト・アインシュタインに大きな影響を与え、20世紀の電磁気学、電気工学、電子工学の礎となった。
  ファラデーは、科学史上、社会に最も大きな影響を与えた科学者のひとりとして記されることが多く、発電機やモーターの発明、反磁性の発見、電気分解の発見、気体の液化など、もし、ファラデーがいなければ、科学の発展はもっと違ったものになったのかも知れない。
化学者ファラデー
   原光雄著「化学を築いた人々」14名の中に、デービーの名前はあるが、残念ながらファラデーの名前はない。アルゴンを発見したラムゼーの名前はあるが、もうひとりの発見者レイリーの名前もない。ファラデーやレイリーは物理学者としての名声が非常に高く、化学者としてはあまり注目されることがないのかも知れない。しかし、ファラデーは物理学だけでなく、化学や電気化学の分野でも数々の業績を残している。
  人工のガスを医療用に用いる研究を目的として、イングランドのブリストルに「医学的気体研究所」が設立され、デービーが実験を指揮した。研究所では、ジョゼフ・プリーストリーが合成した「フロギストン化窒素ガス」が製造され、これを定期的に吸引していたデービーや友人のジェームズ・ワットらがガス中毒になっていたといわれている。現在、このガスは「笑気ガス」、すなわち他の麻酔薬と併用する麻酔補助薬(亜酸化窒素、N2Oと医療用酸素による笑気麻酔ガス)として実用化されており、産業ガスの商材(医療ガス)のひとつになっている。
   当時は、目に見えない気体(様々な種類の「空気」)には、医学的効能があると考えられており、医学的気体研究所では実験的な研究が行われ、デービーも自ら水性ガス(COを含む有毒ガス)などを吸引、非常に危険な実験も行われていた。
 デービーは、天才的な化学者として名声を得ていたが、デービーの実験助手を務めていたファラデーも優秀な科学者として高い評価を得るようになってきた。これを快く思わなかったデービーは、ファラデーの研究を妨害、デービーの存命中、ファラデーは、電磁気学などの物理学の研究を禁じられて市また。デービーは準貴族となり、王立協会の会長にも就任(1820年)、平民であり13歳年下の実験助手ファラデーを対等な科学者として扱うことはなかった。
 しかし、物理学の研究を封印されたファラデーは、この間に化学者として数々の業績を残し、デービーの化学の成果を継承・発展させた。
   化学分野のファラデーは、電気分解の法則を発見、酸化数の概念を体系化し、電極やイオンの概念を導入、ベンゼンを発見した。
  ファラデーが行った、同じ物質でも大きさが異なると性質が異なるというコロイドの研究は、現在の金ナノ粒子であり、この時代に既に現在のナノテクノロジーに通じる考えを見出している。
   ファラデーは、気体の液化に取り組み、デービーが発見した新元素、塩素ガスの液化に成功(1832年)、続いて、亜硫酸ガス、硫化水素などの気体を液化し、分子凝集の概念を確立した。
 理想気体の法則からは、気体は液体とならないが、実際は多くの気体が液化できることが示された。 かつてドルトンは、理想気体の研究を行い、分子・原子論を唱えた時、気体は液化されるであろうと予言したが、ファラデーによって気体は液体に変えられることが実証された。
 ファラデーは、「液体と気体は同じ物質からなる」、「気体とは、沸点の低い液体の蒸気である」という概念も確立した。現在では、液体の水と気体の水蒸気は、いずれも同じ水の分子の異なる状態であるということが当たり前のように理解されているが、この概念を最初に提唱したのはファラデーである。 デービーに物理学の研究を禁止されていた期間に行った様々な化学の研究も大きな成果をあげ、その中でファラデーが先鞭をつけた様々な気体の液化は、その後、空気の液化や産業ガス事業の発展へもつながっていった。
教育者ファラデー
   ファラデーは、科学の啓蒙活動に熱心に取り組んだことでも知られる。
一般向けの講演「The Chemical History of A Candle」が有名で、この講演でファラデーは、「この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたないものはひとつもないといってよいくらいです」と説明した。ファラデーが行った講演は、物理・化学の啓蒙書として出版され(1860年)、日本でも、「ロウソクの科学」「ろうそく物語」「蝋燭の科學」などの名前の翻訳本が出版されている。
技術者ファラデー
   ファラデーの業績は、基礎科学である物理と化学だけではない。師であるデービーは、鉱山の安全灯「デービー灯」の発明で知られるが、ファラデーも実学の研究に数々の業績を残した。ファラデーは、王立研究所の仕事だけでなく、英国政府や民間企業の依頼にもこたえ、大気汚染の研究、テムズ川の汚染問題、特殊鋼の研究、炭塵爆発の研究、海洋立国イングランドにとって非常に重要な船舶の防食や灯台建設など、様々な実学分野で活躍した。
  一方では、平和主義者を貫き、政府の化学兵器開発には協力をしなかった。
   ファラデーの周囲からの評価は高く、2度も王立協会の会長に選出されたが、ファラデーは、これを辞退、貴族の称号も辞退し続けた(ボイル、デービー、ニュートンはサーの称号を持つが、フックとファラデーは平民のままである)。オックスフォード大学はファラデーに名誉博士号を授与したが、ファラデーは生涯、世俗の栄達を拒み続けた学者として知られている。
   ファラデーは、19世紀最大の科学者と呼ばれ、全時代を通じて最大の実験科学者とも呼ばれる。
尊敬されるファラデー
   ファラデーが今も科学者として非常に高い尊敬を集めている理由には、その業績が現代文明の至ることで活躍しているということだけでなく、その生い立ちや科学者としての姿勢がよるところも大きい。
  ファラデー家は貧しく、マイケル・ファラデーは、ほとんど学校教育を受けておらず、20歳になるまで、製本業・書店で丁稚奉公をして働いた。その間に読んだ本から多くの科学の知識を得たが、やがて、ハンフリー・デービーの講演を聴講する機会に恵まれ、デービーとの接点ができた。翌年、デービーが実験で負傷、王立研究所に欠員が出たため、ファラデーはデービーの助手として雇われることになった(1813年、22歳)。
  その後は、物理学者、化学者、工学者、教育者として活躍したが、名誉や称号のようなものからは距離をおき、高潔な生涯をおくったその人物像を尊敬する人は多い。ファラデーを称え、記念するもの(地名や像など)は英国だけでなくフランスや米国、南極など世界各地にある。