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小さなクルマクーパーはF1に大きな功績を残した偉大な車です。 |
クーパーの歴史をずんぐりスケールで見てみましょう。 | |
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それまで行われていたフォーミュラレースからフォーミュラワンの世界選手権が始められました。 最初の年は1500ccのスーパーチャージャーエンジンを搭載したアルファロメオ・ティーポ158が圧勝しますが、なんと、クーパーもF3カーでグランプ
リに出場します。さすがにエンジンは500cc単気筒ではなくV型2気筒の1100ccですがF1に混じってのF3では勝負になりません。モナコグランプ
リにのみホーシェル・レーシングから出場しました。 |
絵は左の奥から、アルファロメオ直列8気筒1500、フェラーリ125V型12気筒1500cc、ゴルディーニ15直列4気筒1500cc、クーパーT12-JAPエンジン(空冷V型2気筒1100ccOHV)
・クーパー以外はスーパーチャージャーなので250から300馬力はあるのですが、アマル製キャブレターのクーパーはわずか95馬力しかありません。それにしてもとても小さな車です。
非常にコンパクトなゴルディーニと比べても小さい。しかしクーパーだけがミッドシップエンジンなのです。 | |
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この年のF1は2000ccエンジンを搭載したF2で選手権が行われました。クーパーは本格的にグランプリカーを製作して参加しましたが、なんとフロントエンジンの車です。 |
エンジンはBMW328のエンジンを改良したブリストルBS直列6気筒2000cc。まだOHVですがソレックスキャブで130馬力を発揮。
マイク・ホーソンやレジ・パーネルなどがドライブしました。 |
グランプリはフェラーリの圧勝。クーパーのホーソンが4人のフェラーリドライバーにつぐ5位
。 絵は、左からフェラーリ500、マセラーティA6GCM、ゴルディーニ16、クーパーT20。フェラーリとマセラーティは直列4気筒、クーパーとゴルディには直列6気筒エンジン。 | |
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1953年はスターリング・モスがクーパーT24で出場、1954年は英国グランプリのみクーパーF2が出場。1955年はミッドシップエンジンのT40がスポット参加。 |
この年のF1は2500ccエンジンのフロントエンジンが多いがクーパーは2200ccエンジンのミッドシップ。ただしメルセデスの290馬力に対してクーパーは140馬力。 |
ドライバーは28歳の新人ジャック・ブラバム。 絵は左からメルセデスW196、コンノート、ランチアD50、クーパーT40。 | |
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1955年と56年は英国グランプリのみのスポット参加だったクーパーがクーパーT43でワークスチーム
として本格的にグランプリに参加を始めました。 |
エンジンはブリストル製2000ccの170馬力。 |
絵は奥からランチア・フェラーリ、マセラーティ250F、ヴァンウォール、クーパーT43 | |
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クーパーはコベントリー・クライマックス直列4気筒195馬力。 |
まだ他の車よりパワーがないがミッドシップエンジンと軽量ボディとディスクブレーキで活躍。この年から始まったコンストラクターチャンピオンシップで3位
を獲得。ドライバーは、ブラバム、モス、マクラーレンなど。 |
絵は奥から、初代コンストラクターチャンピオンに輝いたヴァンウォール、フェラーリ・ディノ156、この年から参加のロータス16、クーパーT45。 | |
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ついにクーパーがワールドチャンピオンに輝きます。ジャック・ブラバムがチャンピオンを獲得しただけではなく、フェラーリやBRMを押さえてコンストラクターチャンピオンです。 |
コ ベントリークライマックス直列4気筒エンジンは2500ccにアップし240馬力。フェラーリやアストンマーチンの300馬力近いエンジンに比べてパワー
に負けるクーパーですが小型軽量ミッドシップエンジン車がエフワングランプリを席捲しました。
この年にクーパーに乗ったドライバーは17名もいます。 |
絵は奥から、アストンマーチンDBR4/250直列6気筒、フェラーリ・ディノ256V型6気筒、BRM
P25、クーパーT51 | |
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歴史に残る名車クーパーT51にはいくつもの種類がありました。手前はクーパーT51/ クライマックス。 次がクーパーT51 /フェラーリ(1960年)。 3番めはヨーマン・クレジットチームのクーパーT51クライマックス。一番奥は1959年出場のクーパーT51 /ボルクバルトでこれはF2仕様車。 |
なお、1959年にコンストラクターチャンピオンになったのはクーパー・クライマックスです。 |
また59年には同じくミッドシップエンジンのクーパーT43にも他のエンジンを載せたクーパー/オスカーやクーパー/マセラーティも出場しています。 | |
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好調クーパーはジャック・ブラバムが連続でワールドチャンピオン。クーパー・クライマックスも連続でコンストラクタチャンピオンとなり2年連続のワールドチャンピオンになります。 |
あわてた他のチームも次々にミッドシップ車に変わっていきます。 |
フェラーリはミッドシップのF2車156を作ったが主力はフロントエンジンのディノ256。新鋭のロータスにも負けてコンストラクタ3位
に低迷。それだけミッドシップ車が優秀であることが証明されたのが1960年のグランプリです。 |
絵は奥からフェラーリ・ディノ256/60、ロータス18クライマックス直列4気筒、BRM-P48/BRM直列4気筒、クーパーT53・クライマックス直列4気筒。 | |
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2年連続のダブルチャンピオンの次の1961年はF1のレギュレーションが2500ccエンジンから1500ccエンジンに変更という大きな変化があり、クーパー以外のチームもみな小型軽量
のミッドシップ車にかわったため、クーパーの優位はいっきになくなりました。 |
グランプリはフェラーリの圧勝でフィル・ヒルがアメリカ人初のチャンピオンになりました。 クーパーはフェラーリ、ロータスだけでなくポルシェにも抜かれて4位に転落してしまいます。 |
絵は手前から、クーパーT58クライマックスV型8気筒、ロータス21クライマックス直列4気筒、フェラーリ156V型6気筒。一番奥のファーガソンP99クライマックス直列4気筒は4輪駆動車。ファーガソンはフロントエンジンの最後のF1です。 | |
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クーパーチームから元ワールドチャンピオンのジャック・ブラバムが独立してブラバムチームを結成しました。チームのエースはブルース・マクラーレンになります。 |
グラハム・ヒルとBRMがダブルタイトルを獲得。ジム・クラークのロータスが躍進し、クーパーは3位
でした。 なお、ディフェンディングチャンピオンのフェラーリはチームの主要メンバーが離脱し危機的状態に陥り一気に5位
まで転落してしまいます。 |
絵 は手前から、クーパーT60、ロータス25、ブラバムBT3、BRM-P48。BRM製V型8気筒エンジンの排気管が槍のように左右に4本ずつ出ているの
がとてもユニークです。この時代になるとクーパーはあまり小さなエフワンではなく普通
のレーシングカーになっています。 | |
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低迷するクーパーにかわって時代はロータスの時代になっていった60年代中盤。ジム・クラークとロータスがダブルチャンピオン。 日本のホンダは2年目のフル参加となります。 |
クーパーは会社をチプステッド・モーターに売却しましたが、エフワンは従来通り参加を続けています。 |
絵は手前からクーパー77、フェラーリ1512、ホンダRA272、ロータス33。 | |
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この年からエンジンが3000ccになりエンジン勢力図なども一変します。 フェラーリはV型12気筒、BRMはH型16気筒、マクラーレンはセレニッシマV型8気筒、イーグルはウェスレイクV型12気筒など。 チャンピオンは意外にもパワーの劣るレプコV型8気筒のブラバム。 |
クー パーのドライバーをずっと続けていたブルース・マクラーレンも自分のチームを作って独立。 62年にクーパーから独立したジャック・ブラバムは自分の名前の車でダブルタイトルを獲得ました。
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クーパーT81はクーパー初のモノコックシャシー。ドライバーにはサーティース、エンジンはマセラーティV型12気筒を早くから準備したにもかかわらずコンストラクター3位にとどまりました。 |
絵は手前から、クーパーT81マセラーティ、ホンダRA273、マクラーレンM2B、イーグルT1Gウェスレイク、フェラーリ312 | |
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クーパーはヨッヘン・リント、ペドロ・ロドリゲス、ジャッキー・イクスなどの歴史に残るドライバー達を擁して参加。 チャンピオンシップはハルムとブラバムがダブルタイトルを獲得。クーパーはロータスにつづいて3位
。68年までワークスは参加しますが69年限りで撤退します。ブラバムやロータスの時代になっていきます。 |
ブラバムはF2シャシーに非力なレプコエンジンでしたが、デニス・ハルム、ジャック・ブラバムによる完全制覇をなしとげました。 強力なエンジンを持つホンダとフェラーリはクーパーに続く4位にとどまりました。 |
クーパーT86は最も格好の悪いF1と酷評され、スリムなブラバムやロータスに比べて巨大なラジエターグリルのクーパーはあまり格好良くありません。 |
絵は、手前からクーパーT86マセラーティ、ホンダRA300、フェラーリ312、ロータス33フォードコスワース、ブラバムBT24レプコ | |
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