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第82回 4章 ガスの科学と物質の階層構造

 2018/10/23

  4−4 大きな階層・マクロコピック

 修正 2018/12/02

  4−4−2 銀河、1021m〜  

隙間だらけの宇宙
 観測可能な宇宙1027mから階層が6桁小さく1021mの階層になると、よくある「ひとつの銀河」の大きさになる。わずか半世紀ほど前まで、宇宙の大きさは、銀河の大きさほどであり、宇宙には銀河がひとつしかないと考えられていた。しかし、現代の科学が明らかにしている事実は、われわれの銀河は、宇宙にある数千億個の銀河のひとつであるということである。
 銀河の階層でも、まだ、非常に大きいが、観測可能な宇宙が理論的・数学的でイメージすることが非常に難しいことに比べると、映像としてとらえられる天の川銀河の姿によって、少しだけ現実味が増す。
宇宙は、ほとんどが何も無い空間が広がっており、ところどころに銀河が存在する。夜空を見上げたとき、満天が全て銀河や星で埋め尽くされることはない。もし星の数が無限にあるのなら夜空は暗くならず、まぶしいほどの光があるはずであるが、有限の宇宙にある星の数は有限であり、地球から見える「今」の夜空は暗い。遠くの光が地球に届くまでに広がり弱くなるということもあるが、星の数に比べると、今の宇宙はとてつもなく大きく、ほとんど何もない。
  星の数が無限であったなら、夜空は満天の星で明るかったのかも知れないが、宇宙の大きさも星の数も有限であり、空間だらけの夜空は暗い。
   ひとつの銀河の大きさは1021m程度、観測可能宇宙からは6桁も小さい。宇宙が1mの球だとすると、銀河は1μmの粒である。長さが6桁異なるということは、そのくらいの違うということである。
   宇宙には、ボイドと呼ばれる全く星が存在しない空間が広がり、ところどころに星(銀河など)がある。星がある場所と星が全くない場所が、不均一に存在しており、これを「宇宙の大規模構造」と呼ぶ。天文学者らによって宇宙の大規模構造が探索され、宇宙の地図の作成作業が進められている。ほとんど、何もない空間からなる宇宙に、ほんのわずか、ところどころに銀河が存在し、その数は約800〜1700億個あると言われている。
   直径1mの球体の容積は0.785m3、ここに大気圧の理想気体があれば、物質の量は44.64モル。ここにある気体の分子の数は2.69×1025個となる。直径1mの宇宙の中に800億個の銀河があり、銀河ひとつが気体の分子であると考えると、この宇宙の密度は大気圧に対して800億÷2.69×1025、すなわち3×10-10-15倍。理想気体の圧力に換算すると、わずか0.3nPaである。800億という膨大な数の銀河があってもなおこの希薄さである。宇宙は大きな空間である。
銀河群
   1点から始まった宇宙は、はじめは、量子の階層にあったため、量子力学的ゆらぎを持っていた。
自然の本質は、不確定性原理によって、ゆらぎのない決定論的な法則を許さないため、宇宙は非常に均質に膨張したにも関わらず、わずかな非等方性を持つことになり、均質ではない大規模な宇宙の構造ができあがった。もし、宇宙が完全に対称で均質であったならば、宇宙は空間(エネルギーを含む)だけであり、物質が作られ、物質が集まり、星が作られることもなかったが、わずかなゆらぎがあったために、物質が生成され、物質が集まり、星が生まれた。量子宇宙の小さなゆらぎは拡大され、その結果、星や銀河が作られた。
 グラショウが描いた宇宙の階層構造「ウロボロスの蛇」は、最も小さな素粒子の世界(始まりの宇宙)と最も大きな宇宙の構造(現在の宇宙の階層)が、同じ宇宙の過去と現在の姿としてつながっていることを表わしている。
   不均一に存在する銀河は、そのほとんどは、単独ではなく、複数の銀河として存在しているようである。複数の銀河とこれに付随する伴銀河と呼ばれる小さな銀河が50個ほど集まって「銀河群」を構成している。銀河群は、さらに大きな銀河団や超銀河団を構成し、これらの銀河団によって宇宙の大規模構造が構成されている。1mの球である宇宙の中にある1μmの球である銀河の間には6桁離れた階層構造がある。
   われわれの銀河は、「局部銀河群」(the Local Group)と呼ばれる銀河群の中にある「銀河系」(the Galaxy)あるいは「天の川銀河(Milky Way Galaxy)」である。
少し前までは、宇宙には銀河がひとつしかないと考えられ、われわれの銀河が唯一無二の銀河であった。その後の観測から、銀河系は、数多くの銀河のひとつにしか過ぎないことが分かり、近くには別の銀河があって、これらと銀河群を形成していることが分かったため、これらは局部銀河群と呼ばれるようになった。
局部銀河群、銀河
   地球や月、太陽や銀河などは、初めは唯一のものと考えられていたため、特に固有名詞が与えられていない。われわれは、地上に閉じ込められていて、長い間、客観的に自分を知ることができず、太陽や月や銀河は、唯一のものと思われた時間が長い。ひとつしかないため特に名前がつけられていない。ほんの少し前までは宇宙には銀河系しかなかったので銀河系にも固有の名称がない。他の銀河と区別する必要がある時には、われわれの銀河、天の川銀河などと呼ぶ。
長い観測と研究の結果、多くの惑星があり、そこには月以外にも多くの衛星があり、もっと遠くには太陽以外にも多くの恒星があり、さらに銀河の外には数多くの銀河が存在することが分かったが、これらがはっきりとしたのは20世紀の中盤以降である。われわれの銀河を含む銀河群にも固有の名称がなく局所銀河群という味気ない名前で呼ばれている。
   現在、地球から遠いところを「系外」と呼ぶようになっており、たとえば、太陽以外の恒星系の惑星を「系外惑星(exoplanet)」、銀河系(the Galaxy)以外の銀河を「系外銀河(galaxies)」と呼ぶ。
   局部銀河群には、主要な3つの銀河があり、最大の銀河は、アンドロメダ銀河(Andromeda Galaxy、M31)、次いで2番目に大きい銀河が、われわれの銀河系(天の川銀河)である。天の川銀河には、2000億〜4000億個の恒星(星)があり、そのうちのひとつが、われわれの星、太陽である。
ウィリアム・ハーシェル
   18世紀末に、ウィリアム・ハーシェル(1738〜1822年、ハノーファー選帝侯国)によって銀河の大きさと構造が調べられた(1788年)。16世紀に、コペルニクスによって古代の地動説が復活し、科学は、既に天動説から地動説の時代に変わっていたが、ハーシェルは太陽(太陽系)も宇宙空間を運動していることに気付き、銀河の大きさ、形、太陽系の運動の方向などを調べた。
 
 ハーシェルは、太陽系内の天体の観測でさえ難しい時代に、はるかかなたの銀河を調べ、太陽は銀河の中のひとつの恒星に過ぎないことを突き止めた。地動説は、太陽中心説であって、動かない太陽の周りを地球などの惑星が運動するという原理であるが、これも正しくないことが分かったのである。
 ハーシェルは、音楽家(演奏家、指揮者)である。本名は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルであるが、37歳の時に、楽団が同盟国であるイングランドへの赴任を命じられ、そこで活躍したため、サー・フレデリック・ウィリアム・ハーシェルという英語名の方がよく知られている。その後、数学、天文学を学び、自作の望遠鏡によって天体の観測を始め、月面の山の測定などを行い、44歳の時には、新惑星・天王星を発見した。
   実際の宇宙は、天動説でもなく、太陽中心説(地動説)でもなく、地球だけでなく太陽も運動していることを発見したことは、ハーシェルの数多くの業績のうち、特に重要な発見である。しかし、ハーシェルが星の光の中から赤外線を発見した(1800年)ことは、その後の科学の発展に大きく寄与したという点ではさらに大きな業績と言える。
赤外線の発見
   ハーシェルは、可視光以外の光が知られていなかった時代に、プリズムで分光した見えない光が熱を伝えることを発見した。翌年には、ハーシェルの赤外線発見をヒントにヨハン・ヴィルヘルム・リッター(1776〜 1810年、ドイツ)が紫外線を発見した(1801年)。
   可視光線以外の見えない光、赤外線や紫外線の存在は、今では誰でも知っている身近なものであり、ガスの分析やガス利用にとっても重要な知見である。赤外線と紫外線は、星の光の観測によって発見されたが、わずか200年前まで、人々は目に見えない光が存在することを知らなかったのである。
   ハーシェルは、全ての星の明るさは等しいという仮説を立てて、地上で見える明るさは星までの距離によって異なると考え、銀河の地図を作成した。星の本来の明るさが等しいという仮説は間違っていたが、ハーシェルの地図から、銀河は円盤状に存在する星の集団からなっていることが見出され、その時、ハーシェルが求めた銀河の大きさは、最新の科学で求められる大きさのおよそ20分の1である。200年前であることを考えると、驚くほど高い精度で銀河の大きさが求められている。ハーシェルが製作した天体望遠鏡は400基以上、かつてロバート・フックが製作した長大望遠鏡は、筒が20m以上あったが、ハーシェルの望遠鏡も長さ12m(40ft望遠鏡)、口径126cmと非常に大きなものである。
   ハーシェルは、asteroid(恒星のようなもの)という言葉を発明し、惑星の衛星や小惑星のような小さな星があることを示した(1802年)。現在では、小惑星のことをアステロイドと呼ぶ。また、ハーシェルは、二重に見える星の中に、実際の連星(binary star)があることを発見した。連星とはひとつの恒星系に実際に二つ以上の恒星があるもの、二重星とは地球から見て方角が同じの時に二つの星が重なってみえるもの、ハーシェルは見出した連星の運動から星の質量が正確に求められるようになった。その後の観測から、宇宙の恒星系のうち、少なくとも1/4が、2連星あるいは3連星(ternary star)以上であることが分かっている。
   しかし、ハーシェルの時代は、まだ近代的な天文学以前の時代である。18世紀のアイザック・ニュートンには、数多くのオカルト(超自然)的研究・著作が知られる(錬金術、賢者の石、予言の書、など)が、19世紀初頭のハーシェルにも同じようなオカルト的研究が多い。全ての惑星には高等文明が存在し、太陽にも大地があり生物がいる、などといった、今となっては荒唐無稽な研究もある。しかし、彼が残した数々の科学的発見の多くは、正確であり、現代の科学につながっている。
   シャルル・メシエ(1730〜1817年、フランス)は、星雲、星団、銀河に番号を振り「メシエ天体カタログ」を作成した。その後の詳細な研究によって、これらの星の集まりは、銀河、星雲、星団、残骸に分類されるようになった。メシエは、メシエ番号M103までを作成(1784年)、M104以降は、後の研究者が追加してM110までの番号がある(1966年)。なお、Mはエムとは呼ばず、メシエ(カタログ)と読む決まりなので、M78天体を「エム78星雲」と読むのは間違いである。アンドロメダ銀河はM31、プレアデス星団(日本名すばる)はM45などといった番号が与えられている。銀河系には、メシエ番号がない。
ヨゼフ・フォン・フラウンホーファーと分光学
   19世紀になって分光技術が進み、ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー(1787〜 1826年、ドイツ)が、太陽光線を解析しスペクトルの中から多数のフラウンホーファー暗線を発見した(1814年)。フラウンホーファーは、太陽大気に含まれる元素が特定の波長の光を吸収して暗線を作ることを発見、系統的な観測によって500以上の暗線の波長を調べた。
 これによって、遠くの星の光から様々な情報を得る天体物理学の基礎が出来上がった。
   また、地球上では発見されていなかった物質が、分光分析で見つかることがあり、1868年には、太陽光線から新元素「ヘリウム」が発見された。ガス屋の重要な商材のひとつヘリウムは、宇宙では2番目に多い元素であるが、地球上では見つからず、太陽の光の中から発見された。天文学は、地上のこととは関係がないように思われることもあるが、暦の発明、赤外線の発見、紫外線の発見、ヘリウムの発見など、地上の生活に密接に関わる科学である。
   分光法(spectroscopy)は、天体観測に用いられて発達したが、分析化学や鉱物などの分析技術としても重要な技術となり、様々な元素の発見にも大きな役割を果たした。
吸収分光法、発光分光法、赤外分光法、紫外・可視・近赤外分光法、核磁気共鳴分光法など様々な分光法が開発された。
   なお、ヨゼフ・フォン・フラウンホーファーに因んで設立されたドイツのフラウンホーファー研究機構は、67ヶ所の研究所を持つ欧州最大規模の民間研究所である。同じドイツのマックス・プランク学術振興協会(20ヶ所のマックス・プランク研究所を保有)が基礎研究を中心としているのに対してフラウンホーファー研究機構は実用的な応用研究を目的としている。
 
 ヒトが見ることができる可視光線の波長は非常に狭い範囲にある。したがって、可視光を用いる天体望遠鏡(光学望遠鏡)による観測では、得られる情報が限られるが、様々な波長の光を観測する分光技術が発明されたことによって多くの情報が得られるようになり、天文学は急速に進歩した。
 ヨゼフ・フォン・フラウンホーファーの生い立ち、苦学の後に成した科学の成果は大変すばらしいものであり、数々の書物に記されている。(→著名な宇宙物理学者であるニール・ドグラース・タイソン博士が案内役をつとめるテレビドラマ「コスモス:時空と宇宙」の第5巻「 光と影」にフラウンホーファーの波乱万丈の物語が短くだが収録されている。あるいは→「ドイツのイノベーションシステム 〜フラウンホーファーが具現した科学と技術の両立〜 ・つくばサイエンスニュース」)
電波による銀河の観測
   さらに、20世紀になって、天体の電波観測が行われるようになり、ヤン・オールト(1900〜1992年、オランダ)によって、銀河のより正確な構造が調べられ、銀河系回転説が実証された(1951年)。オールトは、水素原子が出す波長21cmの電波(周波数1.42GHz、21 cm hydrogen line)を観測することに成功、宇宙の構造を調べる電波天文学が発達することになった。天の川銀河は、2000〜4000億個の星(恒星)からなり、直径は約10万光年、厚さは約100万光年、われわれの太陽の公転周期は、2億2500万年、銀河の質量は、太陽の1011倍、銀河の形態(ハッブル分類)は棒渦巻銀河であることなどが明らかとなった。
エドウィン・ハッブル
   観測可能な宇宙の階層(1027>m)は、あまりも大きく、想像することも容易ではないが、銀河の階層(1021m〜1020m)であれば、具体的な映像があるため、何とかイメージできそうである。ただし、遠くにある系外銀河の映像は観測によるものであるが、われわれは、天の川銀河を外から観測することが出来ないため、銀河系を外から俯瞰するような全体像は、内側から観測された情報から作られた想像図である。
 銀河の階層も、まだ大き過ぎるが、銀河系の直径を10万光年と言い換え、SFに出てくる大マゼラン雲までの距離、16万3千光年(少し前までは14万8千光年)という数字からは、それなりにイメージをふくらませることが可能かも知れない。なお、大マゼラン雲は、現在は、天の川銀河の近くにある伴銀河(天の川銀河の20分の1ほどの大きさの矮小銀河)であることが分かっているため、正しくは、星雲ではなく大マゼラン銀河である。(南天にあり日本からは見えない)
   伴銀河ではない、最も近い系外銀河、アンドロメダ銀河は、エドウィン・ハッブル(1889〜1953年、米国)によって発見された(1929年)。アンドロメダ座(星座)は、銀河系内の星雲ではなく、天の川銀河とは別の銀河であることが分かった。
   ハッブルが発見するまで、宇宙には銀河系だけが存在すると思われており、系外銀河(天の川銀河以外の銀河)の存在は知られていなかった。そのため、1930年よりも古い書物や物語では、アンドロメダ星雲と書かれているが、星雲ではなく、銀河系よりも大きな銀河である。地球からは250万光年の距離にある局所銀河群最大の銀河である。
   ハッブルが発見した、銀河系(天の川銀河)以外にも数多くの銀河が存在するという事実は、極めて大きな発見であったが、ハッブルの最大の発見は、宇宙が膨張していること、ハッブルの法則を見出したことである(1929年)。
        
   天体が遠ざかる後退速度vは、天体までの距離Dに比例する。H0は、ハッブル定数と呼ばれ、最新の観測から、67.15(km/s)/MPcと求められている。
   距離 D の単位 Pc はパーセク、地球の年周視差1秒に相当する距離を表しており、約3.1×1016m(3.3光年)である。MPc はメガパーセク。ハッブル定数の数値は、約330万光年離れている星が遠ざかる速度をkm/sの単位で表している。
   ハッブルの法則は、20世紀最大の発見のひとつといわれることもあり、それまでの人々の宇宙観や宇宙論などの科学を根底から変えるきっかけとなった。遠くの星ほど、高速で遠ざかっているというハッブルの観測結果から、宇宙の膨張が確認され、ビッグバン仮説の実証へつながった。
   アインシュタインは、一般相対性理論によって宇宙の重力方程式を作り上げたが、アインシュタイン自身は、宇宙には始まりも終わりもないという「定常宇宙論」を信じていたため、最初は、ハッブルが発見した宇宙の膨張を信じることができなかった。ハッブルの法則が発表された時、アインシュタイン50歳、ハッブル40歳である。なお、ハッブルはシカゴ大学では数学を専攻していたが、オックスフォード大学で法学を学び、帰国後は、法律の仕事や数々のスポーツで活躍していたが、30歳の時にウィルソン山天文台の職員となり、その後は天体観測を続け、世紀の大発見をした。
   定常宇宙論では、宇宙は「初めから」存在し、過去から未来まで、何も変わらない。時間や空間でさえ絶対ではないということを示し、20世紀の科学に大革命を起こしたアインシュタインでさえ、宇宙の始まりや終わりを信じることができず、ハッブルの観測結果を信じることができなかった。しかし、その後の観測や研究から、宇宙の膨張の事実が明らかになり、アインシュタインは、自らの一般相対性理論の修正のために悩むことになる。
   宇宙が膨張しているということは、元をたどると最初の宇宙は非常に小さかったということであり、どこかに始まりがあったということになる。宇宙には、はじまりも終わりもないと考える定常宇宙論は否定された。ハッブルの発見は、人々の世界観を変え、宗教観に影響を与えるほどの世紀の大発見となった。しかし、ハッブルは、ノーベル賞受賞が確実とされた時に、没してしまった。世界を変えるほどの大発見や大発明に与えられるノーベル賞であるが、ハッブルが受賞することはなかった。
   ハッブルの名前を冠した米国の宇宙望遠鏡がスペースシャトルによって軌道上に打ち上げられた(1990年)。大気の影響を受けない宇宙天文台によって数々の観測、新発見が行われ、エドウィン・ハッブルと同じようにハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope)の名前も一般に広く知られるようになった。
接近するアンドロメダ銀河
   アンドロメダ銀河は、局部銀河群最大の銀河であり、地球との距離は、現在254±6万光年(24.4×1021m)である。宇宙が膨張しているため、ほとんど全ての銀河が赤方偏移(ドップラー効果によって波長が長くなり光のスペクトルが赤い方にずれる)して、われわれから遠ざかっているが、アンドロメダ銀河と銀河系(天の川銀河)は、逆に接近中である。
 二つの銀河は、宇宙(空間)の膨張以上に力学的には近づいているため、青方偏移(波長が短くなってスペクトルが青の方へずれる)している。
 40億年後には、銀河系とアンドロメダ銀河は衝突する。衝突といっても、宇宙のほとんどは空間なので、銀河同士の衝突は、大規模な天体同士の衝突を意味しておらず、二つの銀河は力学的に合体する。その時、地球の位置からは、銀河系(天の川銀河)とアンドロメダ銀河を合わせた満天の星が見えるはずであるが、太陽の寿命は残り50億年であり、その前に地球は消滅、人類の子孫が銀河系とアンドロメダ銀河の合体を地球上から観測することはない。