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第78回 4章 ガスの科学と物質の階層構造

 2018/10/09

  4−2 階層と尺度  
   4−2−2 異なる階層の観測・波の観測  

4−2−2 異なる階層の観測・波の観測
(2)波の観測・光の観測
波としての光
「音」は、マクロスコピックの階層における弾性波であり、気体、液体、固体、プラズマ中などの媒体を伝播する。弾性波は弾性体を変形させながら進む波であり、媒体を必要とし、真空中は伝わらない。
これに対して光は、ミクロスコピックの階層における横波であり、量子であり、媒体を必要とせず真空中も伝わる。真空ポンプや空気ポンプが発明され、ボイルの法則が見出された頃より、音は真空中を伝わらず、光は真空中を伝わることが実験的に知られていた。
    光は「波」として研究されていた時代が長いが、アインシュタインが光量子(light quantum)仮説を提唱(1905年)、粒子性が実験的に確認され、その後、光子(photon)と命名された(1927年)。
 17世紀後半に始まる、光が粒子であるか波であるかという問題は、物理学における非常に大きな課題であった。アイザック・ニュートンが「光の粒子説」を提唱(1672年)、ロバート・フック(1672年)やクリスティアーン・ホイヘンス(1690年)が「光の波動説」を提唱した。ニュートンは、太陽光をプリズムで分光すると虹が現われることから、光は様々な粒子の混合物であると提唱したが、その後の様々な研究や実験結果が光の波動説を説明したため、19世紀には科学の主流は光の波動説がとなり、粒子説は退けられるようになった。
   多くの科学者は、光が波であるのなら、太陽から地球まで光が届くには、宇宙空間に光を伝播する媒体が存在しなければならないと考え、ホイヘンスが提唱した光の媒体「エーテル、ether」を探し始めることになった。
 しかし、20世紀になって、アインシュタインは、光は粒子と波動の二重性を持つ光量子であるという光量子仮説を提唱し、特殊相対性理論の中では、光は媒体を必要としないことを示した。その後、光を伝播する媒体エーテルが存在しない(必要とされない)ことが、実験的に確かめられ、光は波であり粒子であり、光量子であることが分かり、200年以上にも及ぶ光の波動説と粒子説の議論に決着がつけられた。
  光は波であるという観測事実と、光は粒子であるというもうひとつの観測事実から、光は光量子という量子であるという真実(光の本質)は、人間の階層の感覚や常識からは理解しにくいが、量子の階層では、正しい自然の姿である。アインシュタインの主張は、なかなか受け入れられず、電子の持つ波と粒子の二重性やエネルギーを量子化したしたマックス・プランクなどの量子論の研究者であっても、この光の量子化は受け入れ難くアインシュタインがこの論文でノーベル物理学賞を得るまでには長い時間がかかっている。
   光は、電磁場の影響を受け(ファラデー効果、1845年)、マクスウェルの方程式(1865年)によって電磁波であることが予測されていた。一方、電磁波も光と同様の反射や屈折の性質を持つことから、光は電磁波の一種であることが知られていた(1888年、ヘルツ)。
  現在、光子を表わす粒子記号はγであるが、これは、アーネスト・ラザフォードが命名した電磁波の一種であるγ線(ガンマ線、1903年)と同じである。光もγ線も同じ電磁波であるため、区別されずに同じ記号が用いられている。
ニュートンの光の粒子説
   ニュートンが関わる紛争は多いが、17世紀末に始まるニュートンの「光の粒子説」と他の研究者の間の「光の波動説」の場合は、紛争ではなく、れっきとした科学の論争である。18世紀から、さらに19世紀、20世紀初頭まで続いた。
19世紀になって、光の実験や理論が進み、次第に光の波としての性質が明らかになり、同時に、光の粒子説を否定する事実も明らかになっていった。たとえば、ニュートンの光の粒子説では、光の速度は空気中よりも水中の方が速いとされていたが、レオン・フーコー(1819〜1868年、フランス)が行った光速度測定実験(1850年)によって、観測される光の速度は空気中よりも水中の方が遅いことが示されている。媒体による光の速度比は、波動説のホイヘンスの原理(法則)に基づく屈折率から得られる速度比に等しいことが示され、トマス・ヤングが示した「光の横波説」(1817年)が確かなものとなっていった。
 ニュートンは虹の研究が知られるが、光の屈折を、光の粒子が物質の境界面で引き込まれる現象であると考え、密な媒質の方が疎な媒質よりも速いと考えていた。音(縦波)は、密な媒質中の方が速いが、ニュートンは、光は粒子であり、音とは別の理由で密な媒質中を速く進むと考えていたようである。要するにニュートンの考えた光の粒子説は、観測事実を説明できず、理論的な矛盾点が多く、とても科学的なものではなかったが、アインシュタインは、光量子説によって光の性質を正しく説明した。
●光の波長
 
 図に光の波長領域を図示する。
  前述のように光(電磁波)を波として表現する場合、振動数や周波数ではなく波長で表わすのが一般的である。ただし、放送電波では周波数も用いられる。
 電磁波のうちヒトの目で見えるものを可視光線(可視光)と呼ぶ。
  その波長の下界は波長360〜400nm(紫色)、上界は波長760〜830nm(赤色)とされている(JISの定義)。境界値である上限、下限ではなく、可視光線の波長の有界な集合を表わすために上界、下界と表現しており、境界はややあいまいである。
 可視光線は、短い波長360nm〜長い波長830nmほどの間にあり、ヒトの目は、波長の違いを「色」として認識するようになっている。波長が短い光を「紫」と感じ、波長が長い光を「赤」と感じる。
 色とは、人間が光の波長の違いを感覚に変換して、それを表現したものであり、光そのものには「色」という性質、物性がない。
 ヒトが感知する音と光は、様々な波長の波が合成されて、感覚器官に伝わる。ヒトは、その混じった状態の情報を変換して認知しており、このような量は、「心理物理量」といわれる。心理物理量には、聴覚(音色、音程、騒音)、視覚(色彩、色相、彩度、明度、光度、光沢)、味覚、嗅覚などがあり、感覚器によって「科学的物理量」から作り出されている。
  紫色(violet)よりも波長が短い光を「紫外線(ultraviolet、UV、紫外光)」と呼び、赤色(red)よりも波長が長い光を「赤外線(infrared、IR、赤外光)」と呼ぶ。ウルトラultra-は「上」、インフラinfra-は「下」を意味する接頭語であり、「紫の上」「赤の下」となっているが、日本語では両方に「外」の字をあてて、「赤外」、「紫外」としている。
 音は縦波(粗密波、固体中では横波の音もある)であり、光は横波である。伝播の仕組みが異なり、感覚器の構造もその変換の方法も異なるが、人が感じることができる知覚可能範囲を周波数や波長で比較すると、可聴音の周波数は、3桁(20Hz〜20kHz)もあるのに対して、可視光の波長領域は、わずか2倍(360nm〜830nm)しかない。赤外線は熱として、紫外線は人体への有害な反応として感じたり影響が現れたりするため、ヒトが感じる光は可視光だけではないが、視覚に限定するとその範囲は非常に狭い。
    しかも聴覚とは異なり、情報は、ほぼ前方のみであり、壁の向こうも見えない。波として知覚される範囲としてみると、光の情報量は音の情報量に比べて極めて少ないと言える。聴覚情報に比べると視覚情報の方が多そうに感じられるが、「百聞は一見にしかず」は、逆転し、情報の範囲は音の方が1000倍ほど多い。しかし、ヒトの場合は、音源からの音や反響音によって対象物の形状や距離の情報を再現することは非常に難しく、空間の認識の能力は視覚の方が優れている。
   可視光線よりも波長が長い赤外線からさらに波長が長くなると「電波(radio wave)」になる。可視光線よりも波長が短い紫外線よりもさらに波長が短くなると「極端紫外線」や「X線」になる。
 光(可視光線)も電波も紫外線も、波長が異なるだけで、全て同じ性質を持つ波(電磁波)と考えることができ、自然界にある電磁波の波長は、短い方は、ガンマ線0.01nm(周波数2×1018Hz)、長い方は、マイクロ波0.001〜1m(300MHz〜3THz)から極超長波100〜10万km(3〜3000Hz)まで、およそ18桁もある。波長と周波数を混ぜて使うこともあり、放送電波の種類を中波、短波、マイクロ波などの波長の長さで呼ぶが、放送チャンネルは、波長ではなく、周波数(単位はkHzやMHzなど)でしている。
  光(電磁波)全体の波長領域は、18桁もあって極めて広いが、ヒトの視覚がとらえることができる波長は、ごくごくわずか360nm〜830nm (405THz〜790THz)しかない。したがって、自然を観測するときに「見る」というのは、非常に重要な観察方法であるが、可視光線は、自然界のごくごく一部しか映し出していない。
可視光線と色
   前述のように、波長の違いは、ヒトの感覚として「色」に変換され、脳の情報処理によって空間が認識されている。したがって、三原色という考え方は、ヒトの錐体細胞が3つの吸収色素を持つことに由来している。色覚の研究は、ジョン・ドルトンが、自らの色覚異常に気付いて行った研究が始まりとされている。
  18世紀から19世紀にかけてトマス・ヤングとヘルマン・ヘルムホルツが色覚や原色の研究を行っているが、彼らは、波を研究する物理学者、音楽家であると同時に医師でもある。
   自然界には色がなく、これは動物の感覚器独特のものである。光には「色」という特性がなく、色は受け手側の感覚であるため、三原色の概念も、4色型(魚類、両生類、鳥類)や2色型(哺乳類)の細胞を持つ動物には当てはまらないものである。また、ヒトの場合も、人によっては、錐体細胞の数や種類が異なるため完全に共通のものではない。
 したがって、可視光線の領域は非常に狭いが、その赤から紫までの色として認識されるものもその感覚は人によって様々ということになり、色の数や名称も、国や民族によってかなり異なっている。虹の色の表現は、様々であり、2色や3色の地域から、世界的には5色や6色で表現する地域が多い。物理の教科書は、図のように可視光線のスペクトルを6色で示すことが多い。英国でも虹の色は5色であったが、アイザック・ニュートンが音階にならって虹の色を「7色」としたため、いくつかの国では7色の虹と呼ぶようである。虹を何色と呼ぶかということは、科学的根拠は全くないが、色の種類、色の呼び方も科学の領域ではない。
●粒子としての光、光の検知
   可視光線の波長領域はわずかであり、ヒトの目でとらえることのできない光(電磁波)の領域の方がはるかに広いため、可視光線以外の光を測定する方法が数多く開発されている。
 ただし、光は、質量を持たない素粒子であり、光そのものを直接検知することはできない。検知されるのは光ではなく、そこに光があったという光の痕跡(光による反応の結果)である。
 たとえば、ヒトの目では、光の持つエネルギーが、視細胞で電子に変換され、その結果、感覚細胞が刺激されて視覚情報が得られる。光は電気の信号に変換されて、脳はこれを映像の情報として認識する。映像を映し出し視神経に情報を送るヒトの網膜は、およそ厚さ0.2mm×直径40mmの平面である。現実の空間は3次元であるが、ヒトの目の構造は2次元の面に映像を投影、脳は両眼視差の映像を情報処理して、これを3次元の映像として知覚するという立体視の仕組みを持っている。
    フィルム、撮像素子など光をとらえる計測器も、光を電気に変換して検知するということではヒトの目と同じである。写真フィルムでは、光を化学反応の痕跡として記録、デジタルカメラでは、撮像素子(イメージセンサ)に入射した光によって起こる内部光電効果で生成される電子を検出して画像情報を得てデータを記録する。新しいデジタル技術の対義語としてアナログという言葉がよく使われるが、カメラの場合は、デジタルカメラの対義語はアナログカメラではなく銀塩カメラ(銀塩フィルムを用いたカメラ)と呼ぶ。デジタルカメラも銀塩カメラも光による反応を記録するという点では同じであり、記録方式がデジタル化された数値情報であるかフィルムの化学変化であるかという点だけが異なる。
   光は、質量を持たず止まることができない素粒子であり、反応して光速度でなくなった時には既に光ではない。光は別のものに変換されて検知され観測は全て間接的なものであり、痕跡・記録だけが残る。しかし、光が電子などに変換される過程はほとんど意識されることがなく、光によって得られる情報は「直接見た」と報告される。映像は、ありのままの真実だと思われることが多いが、ヒトの目もカメラも様々な反応過程やデータの加工がなされた結果の情報であり、観測は常に間接的である。しかも、光は有限の速度で移動し、検知や認識にも時間が必要であるから、目の前で見えているものですら「同時」ということはありえない。いつも、本の少し前の過去の光を変換して間接的に認知していることになるが、その速度は、非常に大きいため時間のずれを感じることがない。
すべての観測が、「間接的」であること
    観測が間接的であるという同じようなことが、光だけでなく、他の物理量の観測でもよく起こる。たとえば、温度は、分子運動のエネルギーに伴う物理量(スカラーの状態量)であるが、温度そのものを計測することはできない。
一次温度計は、気体の圧力や容積などから熱力学的に求める温度計である。しかしこの場合も、「温度」という量を直接測ることはできない。温度には実体がなく、温度目盛も熱力学温度になるように人間が決めたものであるため、その精度には限界がある。
   一般的に用いられる温度計では、ある対象物の温度を測定する時に、測定器の感温部(温度センサー、測温体)と対象物が同じ平衡温度になっていると仮定して、温度計の指示を読む、あるいは、対象物から放射される光を分析して温度を「推定」する。このような温度計を二次温度計と呼ぶ。感温部には、温度によって容積が変わる液体、温度によって電気抵抗が変わる金属、あるいは、温度差によって熱起電力を発生する異種金属接合などの物性を利用する「温度計」が用いられるので、測定される「温度」は、対象物そのものではなく温度計の温度であり、さらに温度そのものが測定されるのではなく、温度との相関関係のある物性から間接的に求められた温度の推定値である。
   重量や圧力も物体の変形や電位によって測定されるが、ほとんどの測定器が物理量を直接とらえておらず、その物理量と何かの法則によって相関関係のある何かの性質を用いている。したがって、通常の測定で得られている情報のほとんどは、間接的に得られているものであって、おそらく、直接検知できる物理量というのは、整数で数えられる「個数」くらいしかないが、これも一般的には、アヴォガドロ定数を掛けたほどの数であるため、現実的には数えることができない。実験データや装置の運転データを「生データ」と「加工されたデータ」に区別することがあるが、基本的に全てが間接的なデータである。
   そこまで厳密に考えず、より現実的に考えて、最初に得られるデータを一次データ、何らかの計算が行われたものを加工されたデータとすることが多い。しかし、通常の計測器では、測定された量が、何らかの法則を用いて変換され、回路や演算による加工が施されて、計測器やコンピュータによって表示されていることが多いので、何も加工されていない本当の「生データ」はほとんどない。
   温度計であれば、温度によって変化する測温部の抵抗値の変化や温度差によって生じる起電力を測定するが、計測器内部の回路でこれを電圧などに変換、演算回路や変換プログラムを用いて最終的に温度表示をしているので、生データどころか、かなり加工されたデータである。したがって、所定の精度を得るには、測温の仕組みや方法だけでなく、測定器内部の回路やソフトウェアなどの内容を理解し、校正管理、感温部や機器の品質管理を十分に行う必要がある。測温が正しく行われ、回路から得られる電圧や電流値が正しく得られたとしても、そこから温度に換算される時にエラーが生じることもありうる。過程、ステップが多ければ、それだけエラーの可能性は高くなるので、表示される温度を信じる前に確かめなければならないことはいくつもある。
   たとえば、深冷空気分離装置の熱交換器では、流体間の温度差が1K前後という非常に小さな温度差で運用されることが多いため、熱交換器の設計に必要な伝熱の研究では、再現性のある実験データを得ようとすれば0.1K以下の精度と確度が必要となる。
精度(precision)は再現性に関わり、確度(accuracy)は、物性など他のデータベースとの間の整合性に関わる重要な因子であるが、このような精密な測定で、必要な精度と確度を達成するのは容易ではない。温度計(感温部、回路)、測温方法(熱抵抗など)、基準温度計との校正、品質管理などに細心の注意が必要である。測定器の表示を鵜呑みにするのではなく、その表示がどのようにして得られているのかということを理解し、意識することが、重要である。
   流量計であれば、その測定方法(差圧式、熱式質量流量、熱線式、熱電対式)が様々であるだけでなく、検量(校正)した時の条件と測定した時の条件(温度、圧力、組成など)の違いや、それが正しい方法で補正されているのか、といったことに注意が必要である。
深冷空気分離装置では、流体の組成が変化するため、密度が変わり、流量計の指示値が変わるが、流体をサンプリングして組成をリアルタイムで分析、物性推算を行って流量の補正を行うという作業は簡単ではない。商業装置の場合は、温圧補正(温度と圧力の違いから流量を補正)が行われることが多いが、組成の変化に対応することは難しいことと極端に異なる組成で運転されることがないことから、通常は組成の補正は行われない。
    実験装置の場合は、実際の組成を知ることが重要であるため、これに対応した測定が必要であるが、低温装置の場合、特に液体サンプリングの技術的難度が高く、重要な実験のテクニック・ノウハウとなっている。たとえば、低温の液体空気をサンプリング配管からそのまま採取すると、配管内での蒸発に伴う気液平衡・物質移動によって組成が変わり、採取された気体は、実際の液体よりも窒素濃度が高くなることが多い。