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第63回 現代物理学と量子論 3−2 前期量子力学(5)不確定性原理

 2018/05/22

    編集 2018/07/30

ハイゼンベルクの不確定性原理(Heisenbergsche Unscharferelation、英:uncertainty principle) 
  ヴェルナー・ハイゼンベルク(19011976年、ドイツ)によって、不確定性原理が発見された(1927年)。
 「Unscharfe」は、「ぶれ」「ピンボケ」、あるいは英語の「ファジー、fuzziness」を意味しており、Relationは関係であるから、原文は「ハイゼンベルクのあいまいな関係」となる。英語や日本語では「不確定性」(uncertainty)の「原理」(principle)と訳されているが、「ハイゼンベルクの不確定性の関係」と書く書籍も多い。
 
 不確定性原理が極めて重要である理由は、これが科学における基礎「原理」であり、「全ての現象は確率的に示され、決定論的に示されるものではない」ことを示したことにある。
  不確定性原理で説明される現象は、自然の本質であり、全ての階層に存在するが、マクロスコピックな階層では、その効果が非常に小さいため、観測・目撃されることがないため、ほとんどの現象は「計算通り」に起こり、曖昧さはは全くないように「見える」。しかし、ミクロスコピックな階層では、量子の持つ不確定性の性質が顕著に現れやすく、量子には「量子力学的ゆらぎ」があることが様々な観測からも明らかとなっている。
    ガスの科学やその応用分野、極低温の科学の世界には、超伝導や超流動といった特異な現象が見られるが、このような現象の多くが、不確定性やゆらぎによって説明されている。また窒素や酸素のような沸点の低い物質の場合、その液化の機構に関わる分子間力の中には「分散力」という分子間力(引力)の寄与が大きいが、これも量子力学的ゆらぎがなければ説明ができない。
  特にアルゴンやヘリウムのような希ガスの場合、分散力は唯一の分子間力(引力)であるため、不確定性原理がなければ、その液化の機構を説明することができない。
   量子論は、20世紀を変えた大理論であるが、量子力学の研究の中で発見されたハイゼンベルクの「不確定性原理」は、物理学だけでなく科学とその他の世界観を根底から揺さぶるほどの重大な発見となった。ハイゼンベルクが発見した不確定性原理は、そのような自然の本質を表現しており、証明が可能な法則や定理とは全く異なる新たな「原理」であり、新たな科学の出発点となった。
不確定性原理の定式化
   ハイゼンベルクの不確定性原理とは、「ある相補的変数として知られる一対の物理量を同時に知ることができる精度には根本的限界がある」というものである。
 一対の物理量の組合せというのは、たとえば、「位置と運動量(Space-Momentum Uncertainty Relation、SMUR)」、あるいは、「時間とエネルギー(Time-Energy Uncertainty Relation、TEUR)」であり、「位置と運動量、SMUR」に関しては、ヘルマン・ワイル(1885年〜1955年、ドイツ)やアール・ヘッセ・ケナード(1885年〜1968年、米国)によって、次のように定式化された。
 
(ハイゼンベルク・ワイルの式、1928年)
あるいは    
  (ケナードの式、1927年)
   位置のゆらぎ と運動量のゆらぎ の積、あるいは、位置の標準偏差 と運動量の標準偏差の積は、ディラック定数の1/2よりも大きいという不等式である。ワイルもケナードも数学者であり、ハイゼンベルクが提唱した不確定性原理から、これらの不等式を導出した。
不確定性原理は観測行為から説明されるものではなく、自然の本質
   発見当初、不確定性原理は観測行為によるものであると説明されていたが、これは後に誤った解釈であるとされるようになった。
 観測行為とは、「物理量の不確定性は、光などを用いた観測によって影響を受けるために生じる」というものであり、量子の運動量を測定しようとして光をあてると、その結果、位置が決まらなくなり、精密に測ろうとして光子の波長を短く(エネルギーを大きく)すれば、さらにそれに応じて位置が分からなくなってくるという説明である。
  はじめに、このような説明が行われ、不等式の表現からも、不確定の理由が観測行為によるものであるような印象が与えられてしまった。
 しかし、その後の研究によって、不確定性(uncertainty)には理由がなく、量子が持つ不確定性の「原理」(本質)と観測者問題は別のものと解釈されるようになった。もし、観測者問題として不確定性が説明できるのであれば、これは、不確定性原理ではなく、不確定性の法則とされるべきであるが、ハイゼンベルクが発見した不確定性は、物理の法則ではなく、より上位の概念、すなわち、自然の本質を表わす「原理」であるとしてその解釈の研究が進められた。
 ひとつの物理量を正確に測定しようとすると、その行為が影響してもう一方の物理量が正しく得られなくなるという考えには、運動量や位置には「真の値」が存在するという前提条件がある。現実の問題として、測定に光を使うと測定値は真の値から少し広がってしまうが、この考え方には、「真の値はどこかに必ず存在する」という前提がある。
 また「測定における標準偏差」という用語の中にも、測ることができるかできないかに関わらず「真の値」は、どこかに必ずあるはずだという前提がある。真の値が存在するということは、自然の本質は不確定であるという原理とは相容れない。前述の標準偏差を用いたケナードの式は、厳密には不確定原理を定式化しておらず、補正が必要であるとした研究が行われている。前述の2つの式であれば、真値の存在を前提とする「標準偏差」ではなく、「ゆらぎ」で表現されるワイルの式の方が不確定性原理を正確に定式化していると考えられている。
   観測による正確さの限界というのは、当初は分かりやすい説明のように思えた。発見者であるハイゼンベルクや原子核のアルファ崩壊(トンネル効果)を不確定性原理で説明したジョージ・ガモフでさえ、不確定性と観測者効果を混同していたとされる。発見者であるハイゼンベルクやガモフのような大学者ですら、不確定性は説明できると考えており、これを重大な原理と気付かなかったほどである。学界の不確定性原理に関する解釈は大きく混乱したが、現在、不確定性原理における観測者効果という解釈は根本的に間違った解釈とされている。
不確定の関係は自然の本質「不確定性原理」であるということ
   原理は証明ができない(証明できるものは原理とは呼ばない)ため、その議論には「解釈(interpretations)」という言葉が用いられる。→(「原理」という用語は間違って用いられることがある。本来は、「仕組み」、「機構」、「法則」などといった言葉で表すべきものにまで原理という言葉が使われることがある。たとえば、「理論的に不可能」ということと「原理的に不可能」ということもかなり異なる。最上位の法則であって、それ以上のものは規定できないものを科学の「原理」と呼ぶ。したがって「原理を証明する」という文章はそれ自体が論理的に矛盾している→ カラム:科学の「原理」
   最も広く認められている「不確定性原理の解釈」は、量子力学的不確定性とは、量子状態(波である量子系)が本質的に持っている量子の性質であって、観測とは無関係の基本原理であり、「測定限界の法則」あるいは「不可知の法則」のようなものではない、というものである。
 証明ができるはずの「法則」と、自然の本質であって証明を必要としない「原理」の違いは非常に大きい。要するに、証明を試みた時点で、原理は原理ではなく法則ということになるので、その後の対応が全く異なることになる。
  不確定性原理の解釈をめぐっては、物理学を二分する大激論が起こった。様々なエピソードがあり、大学者たちの議論と人間模様が多くの書物に紹介されている。
   ニールス・ボーアらが提唱した不確定性原理の解釈は、不確定なのは「元々決まっていないからだ」というものである。ボーアは、コペンハーゲンにボーア研究所を設立、ハイゼンベルクやシュレーディンガーなどの若き天才を招聘し、コペンハーゲン学派を形成していたが、ボーアを中心に「コペンハーゲン解釈」と呼ばれる量子力学的不確定性の解釈が構築されていった。
 コペンハーゲン解釈では、「量子力学の状態は、いくつかの異なる「状態の重ね合わせ」で表現され、これは、どちらの状態であるとも言及できないと解釈する」というものであり、量子が持つ確率的な性質は根源的なものであるという主張をしている。ボーアらによって、量子力学とは「非決定論的」科学であるという非常に重要な提言が行われた。
 これは、当時としては非常に大胆な解釈であり、多くの学者が反対したが、最も強力に不確定性原理に反対し人物は、アインシュタインである。
アインシュタインの反論
   アインシュタインには「完全な物理学理論は決定論的であるべき」との強い信念があり、不確定に見える現象は、「決まってはいるが人間にはわからないだけである」という「隠れた変数理論」を唱えた。非決定論的であるとする不確定性原理の解釈に猛反対し、自らもその構築に尽力した量子力学は不完全であると反対した。
  アインシュタインが、物理学に不確定という曖昧さを持ち込むことを納得しなかったという逸話のひとつとして、アインシュタインが、友人であるマックス・ボルン(18821970年、ドイツ、英国)へ宛てた手紙の中に記した「Der Alte wurfelt nicht.」という有名な言葉がある(1926年)。直訳として「神はサイコロ遊びをしない」とされているが「神はサイコロを振らない」という訳もある。アインシュタインは、物理学者であり、Got(神)という単語も用いていないため、Der Alteを「神」と訳すことには諸説あるが、アインシュタインには、自然界を支配する何かがあり、これがサイコロのような不確定の原理に基づくということには納得しなかった、という意味のようである。
  なお、ボルンは、終戦後ドイツに戻り、量子力学における波動関数の確率解釈への貢献によってノーベル物理学賞を受賞している(1954年)。
  私は学生時代にアルバイトで一度オリヴィア・ニュートン=ジョン(オーストラリア、1948年〜)の楽屋の世話係(福岡市民会館)をしたことがあるが、その時は、彼女がかのマックス・ボルンの孫であることを知らなかった。オーストラリの英語がほとんど聞き取れなかったことと、楽屋がものすごく寒くて困っていたことだけはよく覚えている。「そよ風の誘惑」を歌っていた超有名な歌手がアインシュタインの友人でノーベル物理学賞を受賞したボルンの孫だということを知らなかったのは残念。
   数々の古い常識を過去のものとして、光量子仮説によって量子力学に大きな貢献をしたアインシュタインであるが、奇跡の年(1905年)から20年たってハイゼンベルクが提唱した不確定性原理を認めることはできなかった。この時、アインシュタイン47歳、コペンハーゲン学派は、ボーア41歳、シュレーディンガー39歳、不確定性原理の発見者ハイゼンベルクは25歳である。
   アインシュタインは、次々と不確定性原理の矛盾を突く思考実験を考え出しては、ボーアらに突きつけ、ボーアらはその思考実験の不備を指摘するという論戦が続いた。
  特にブリュッセルで開催されるソルベー会議(ガラス原料の炭酸ナトリウムの製造法を考案したソルベーと熱力学の第三法則を発見したネルンストが提唱する国際的な物理学会議)における論争が有名で、第5回ソルベー会議(1927年)で不確定性原理をめぐる激しい議論が繰り広げられた。会議は少人数ではあるが、アインシュタイン、パウリ、ハイゼンベルク、プランク、Mキュリー、ラングミュア、ディラック、ドブロイ、シュレーディンガー、ボーアなど世界最高の天才達が集まって行われた(議長はローレンツ)。
   アインシュタインは、不確定性原理に反対し、量子力学を追い詰め、これが不完全であるとする決定的証拠として「箱の中の時計の思考実験」を提唱した(1930年、第6回ソルベー会議)。世界の著名な物理学者が集まる最高峰の会議の冒頭、アインシュタインは、不確定性原理に反論、「時間」と「エネルギー」という組み合わせには、不確定性はなく、特殊相対性理論を用いて正確に測ることができることを示した。一般によく用いられる不確定性「位置と運動量の不確定性関係」(SMUR)に対して、アインシュタインが提起した不確定性は「時間とエネルギーの不確定性関係」(TEUR)である。箱の中の時計は、「アインシュタインの光子箱」とも呼ばれる思考実験であり、これによって不確定性原理と量子力学は根底から覆され、否定されるという瀬戸際に立たされることになった。
   ボーアは反論に窮したが、アインシュタインが提唱した一般相対性理論を用いて、この思考実験では時間が正しく測れないことにたどり着き、論破することに成功した。アインシュタインの特殊相対性理論によって消滅の危機にあった不確定性原理は、アインシュタインの一般相対性理論によって救われた。
 アインシュタインは、その後、公然とはボーアらへの反論を行わなくなったが、心底から不確定性原理を認めた訳ではなく、3人の物理学者による共著「アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス、EPR論文」を提出(1935年)、量子論の不完全性を突く試みを続けた。
  TEURの議論や別の解釈は、その後も続き、ボーアが1930年に用いた一般相対性理論を用いた反論は間違っており、別の方法でアインシュタインへの反論が可能であるとする研究者もいる。
決定論、ラプラスの悪魔
   アインシュタインが示した「隠れた変数理論」とは、確率的にみえる現象には、情報が足りないだけであって、実際の物理学は厳密な因果律を持つというものである。
 アインシュタインが固執したのは、未来は現在の状態によって既に決まっているとする「決定論」の概念であり、これは、19世紀にピエール=シモン・ラプラス(17491827年、フランス)が提唱した「ラプラスの悪魔」(Laplace's demon、1812年)に基づく概念である。
  これは、もし、ある瞬間における全ての物質の状態を知り、それらのデータを解析できるだけの能力がある者が存在すれば、未来を完全に見通すことができるという考えであり、そのような存在を「ラプラスの悪魔」と呼ぶ。人間には不可能でも、ラプラスの悪魔であれば、因果的に決定された未来を完全に見通すことができるというのが、決定論的科学の考え方である。
  アインシュタインは、量子力学による世界の記述は不完全であり、確率的に見える振る舞いの裏には、確固たる存在や性質が実在するはずだと主張した。
 「はじめから決まっていない」と考えるボーアと「全てが決まっており、人間が知らないだけである」とするアインシュタインの解釈は、どこまでも相容れないものであった。
  その後、多くの現象が不確定性原理によって説明され、隠れた変数理論とは両立しない実験結果が知られるようになったため、ハイゼンベルクの不確定性原理は広く支持されるようになった。現在では、不確定性原理が根本的に誤っていると考える研究者はほとんどいなくなっている。現在の科学・技術のは、量子力学と不確定性原理の上に構築されており、アインシュタインが考えた隠れた変数理論が量子力学を越えるというような現象は見出されていない。
   「アインシュタイン・ロマン」(NHKエンタープライズ、1991年放送)には、次のようなやりとりがある。
アインシュタイン:「幽霊のようなテレパシー。確率だけの予測。それを物理学と呼びたくはありません。自然は、もっと単純な美しさを持っているはずです。」
 ボーア:「その理論が正しくないなら『単純な美しさ』など何の意味も持たないのです。私たちは、古典物理学に慣れすぎました。ミクロの世界は、私たちの常識を越えたつながりを持っているのです。」
 物理学の難題を次々に解決し、それまでの常識と思われたことの多くを覆してきた天才アインシュタインであるが、ボーアによると、その決定論的な考え方は既に古い世界観であり、古典物理学に縛られているという。17世紀から19世紀までの科学や古典物理学を1905年に根底から変えてしまったアインシュタインに対して、ボーアはわずか20年後にその考えは古いと指摘しているのである。
 ハイゼンベルクの不確定性原理は、未来は既に決まっているのではないということを示し、「決定論」の概念を否定したが、量子の世界で、未来が決まっていない(全ては確率として予測される)ということは、これに支配されるより大きく複雑な階層、おそらく生物や人間の階層も、やはり未来はまだ決まっていないのだろうということになる。不確定性原理の解釈は、ミクロスコピックな量子の世界だけでなく、自然科学全般や人々の世界観にも大きな影響を与えた。
   なお、現在、ハイゼンベルクの不確定性原理の「主張」に対して否定的な異論が唱えられることはないが、その不等式は不完全であるとの指摘はある。小澤正直(1950年〜)は、ハイゼンベルクの不等式は不完全であると主張、誤差と本質的ゆらぎを区別して式の不足を補う「小澤の不等式」を提唱、実証研究が行われている(2012年、名古屋大学とウィーン工科大学の共同研究チーム)。この研究は、ハイゼンベルクの式の限界を超えた測定の可能性を示唆しており、重力波の検出装置の限界を議論するために1980年代から進められてきたものである。現在、建設中の東大宇宙線研究所の重力波望遠鏡「KAGRA」では、量子レベルでの雑音や測定精度の議論が重要となるため、量子力学的不確定と測定精度の理論的な検証、重力波検出における小澤理論が検討されるだろうといわれている。
量子の確率的性質の実例
  不確定性原理によって、量子力学は結果をひとつに予想することはなく、その代わりに結果の確率分布を予想するということが明らかにされた。量子は、特徴的な「確率的な性質」を持っているが、これは、統計力学が対象とするような数多くの粒子が示す振る舞いや分布のようなものを意味しているのではない。確率という言葉からは、非常に多くの母集団を想像するが、量子力学における確率的性質とは、たった一個の量子が持っている性質である。
光が2つのスリットを通過すると、出口で干渉して干渉縞が現れる。トマス・ヤングが行った有名な光の干渉実験(「ヤングの実験」、1805年)である。ヤングは光の波動説を唱えたが、この実験によって、干渉という波に特徴的な性質を光が持つことを証明した。高校の物理では、光の波動性を説明するのに用いられている。
   しかし、20世紀の科学では、光は量子であり、光量子は、不確定性原理に基づいて二つのスリットをある確率で通過、出口で干渉縞を作る。
これは、数多くの光量子が統計的、確率的に分かれて、例えば100個の光子が50個ずつ別々に二つのスリットを通過して出口で干渉して縞を作ったという意味ではない。
粒子と波の性質を併せ持つ光量子が1個であっても、確率的に両方のスリットを通過していると考えるのが正しい量子の確率的性質の解釈である。
 リチャード・ファインマンは、光子の二重スリットの思考実験によって、たったひとつの量子であっても確率的性質をもつことを説明した。しかし、ひとつの量子が確率的に二つのスリットを通過するということは、マクロスコピックの常識からは想像しにくい。そこで、思考実験ではなく、実際に粒子の数を数え、量子の確率的振舞いを確かめるための実験が行われた。波である「光波」は数を数えないが、粒子である「光子」はその個数を数えることができるのである。
   最初の二重スリット実験は、光(光量子)ではなく電子(物質波)を用いて行われた。複数の電子による実験(1961年)に続いて、1個の電子でも干渉縞が確認された(1974年、イタリア・ミラノ大学)。
近年、実験装置が高度化し、追試も行われている。土屋裕(浜松ホトニクス(株))らは、光子1個ずつを計測できるフォトカウンターを製作し、二重スリット実験を行い、1個の光量子による干渉縞の追試に成功した(1982年)。外村彰((株)日立製作所)らは、この光子検出器を電子用に変え、電子顕微鏡の中で電子を単発に発射、電子の二重スリット実験に成功した(1989年)。
   光の波動説を説明するためのヤングの実験からちょうど100年後、アインシュタインの光量子説によって、光は、量子であり、波であり粒子でもあることが示され、その25年後には、ハイゼンベルクの不確定性原理によって、量子は確率的存在であることが示された。その後、実際に行われた二重スリット実験によって、1個の量子が確率的に2つのスリットを通り抜け、干渉縞が作られることが示された。量子1個を粒子と考えるのは容易であるが、1個の粒子が波動性を持ち、干渉を起こすこということは、マクロスコピックの階層の常識からは想像が難しい。奇妙であるが、これが、われわれが普段気付いていない自然の本質ということである。
   不確定性原理によって、量子の階層における量子力学的ゆらぎが説明されるようになったが、この「量子ゆらぎ(quantum fluctuation)」は、量子論から宇宙論まで、実に様々な場面に登場する。
たとえば、絶対零度においても原子は不確定性原理のために静止せずに振動するという「零点振動」(zero-point motion)という現象が知られている。
 絶対零度「近傍」にまで、冷却されたヘリウムは、この零点振動によって、大気圧下では、固化しない。零点振動は非常に小さいが、ヘリウムの場合は、原子間力も非常に小さいため、零点振動が顕著に現われ、液体ヘリウムは固化することができない。ヘイケ・オネス(18531926年、オランダ)は、カール・フォン・リンデ(18421934年、ドイツ)が開発した冷凍機を用いて、世界で初めてヘリウムを液化したが(1908年)、固化には成功しなかった。その後任者であるウィレム・ヘンドリック・ケーソン(18761956年、オランダ)は、ヘリウムに高圧力を加えることによって、はじめてヘリウムの固化に成功した(1926年)。
 固体では、絶対零度近傍でも零点エネルギー(zero-point energy)によって格子振動が起こるが、この零点エネルギーという現象を提唱したのは、他でもない、アインシュタインである(1913年)。アインシュタインは、不確定性原理に異論を唱え続け、量子論を不完全なものとしてきたが、光量子説、ボース・アインシュタイン統計やこの零点振動など、量子力学の発展に非常に大きな貢献をしている。アインシュタインがいなければ量子論の発展もなかったはずである。
   トンネル効果(quantum tunnelling)も不確定性原理と量子力学によって説明される現象である。トンネル効果とは、量子系の粒子が、古典的には乗り越えることができない高いポテンシャル(エネルギー障壁)を乗り越えてすり抜けてしまうという有名な現象である。
 これは、量子が持つ時間とエネルギーの不確定性の関係によって壁をすり抜ける現象として説明されている。原子核がアルファ崩壊する時、陽子2個と中性子2個からなるアルファ粒子が原子核の中から飛び出してくるが、この粒子が原子核内の強い核力を破って外に飛び出すエネルギーはどこにもみあたらないが、トンネル効果によってこの現象が起こる。量子が、いきなり壁の向こう側に現れるという現象は、量子が持つ粒子性と波動性という二重性と、ハイゼンベルクの不確定性原理によって説明されている。
 佐藤勝彦先生は、トンネル効果について、「量子は、エネルギーを未来から借りてきて障壁を乗り越え、それを後から返すことができる不思議な存在である」とも説明している。
 マクロスコピックな世界では、ボールが壁をすり抜けたり、時間を前後に自由に行き来したりすることはできない。その確率は、ゼロではないが、あまりにもその可能性が低いため、観測することができない。しかし、ミクロスコピックな量子の世界では、マクロスコピックの世界からみるととても不思議なことが頻繁に、当たり前に起こっているということである。われわれ、人間は、ありのままの姿の自然を見ることはできない、ということのようである。
   トンネル効果(量子トンネル効果)の具体的な例は比較的身近なところにある。集積回路の電力損失、発熱の原因のひとつに量子トンネリング(数ナノメートルの障壁から問題となる)による電気の漏洩があり、集積化の障害になっている。
  超伝導とトンネル効果を用いたジョセフソン接合は、精密測定や太陽光発電素子の接合に用いられている。トンネルダイオード(エサキダイオード)、トンネル電界効果トランジスタ、走査型トンネル顕微鏡 (STM)などの利用例がある。
 江崎玲於奈(1925年〜、日本)は固体中のトンネル効果、アイヴァー・ジェーバー(1929年〜、ノルウェー、米国)は半導体と超伝導体の中でのトンネル効果を発見し、二人はノーベル物理学賞を共同受賞している(1973年)、同じ年のノーベル物理学賞には、ブライアン・ジョゼフソン(1940年〜、英国)もジョセフソン効果(超伝導体同士のトンネル効果)によって受賞している。
 舛岡富士雄(東芝)が発明したフラッシュメモリーも電子のトンネル効果を利用している。
 
量子の不確定性をめぐる議論や歴史を記述する解説書は非常に多い。次の三冊は発行年が比較的新しい)
そして世界に不確定性がもたらされた―ハイゼンベルクの物理学革命:
デイヴィッド リンドリー (著)/2007年
量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突:
マンジット クマール (著)/2013年
アインシュタイン vs. 量子力学: ミクロ世界の実在をめぐる熾烈な知的バトル
: 森田 邦久 (著)/2015年
前期量子力学の確立
   シュレーディンガーは、量子を波動力学で示したが、ハイゼンベルクは量子を行列力学で表現した。このふたつの量子力学は、その後、数学的に等価であることが証明された。
 シュレーディンガー描像(イメージ)は、時刻とともに状態が変化するものであり、状態を波動関数で表わし、主に「電子の記述(化学)」に用いられる。ハイゼンベルク描像は、時刻とともに演算子が変化するもので、状態を行列で表わし、主に「場の量子論」で用いられるようになった。プランクから始まった量子力学はほぼ確立した(1932年)。
 一方、1905年にアインシュタインが提唱した特殊相対性理論は量子論と並ぶ20世紀最大の科学の成果であり、世界を科学の世紀へと変えた。速度が光速に近い時に重要となる特殊相対性理論と非常に小さな階層にある量子を取り扱う量子論とは、対象とする領域が異なり、統合が難しいと思われ、相対性理論と量子論は相性が良くないと言われるたが、量子の階層の記述にも相対論が必要となった。
 光(電磁波)は量子の波であるが、媒体の無い真空中を伝播し、「場」を記述する科学(場の量子化)が必要となる。電磁波は電場と磁場の相互作用を含むが、物理作用は、相対性理論によって光の速度を超えることができないため、真空中(空間)には、有限の時間、エネルギーを保持する「場」が必要である。
 電磁波は、真空中を光速度で伝わる波であるため、相対論的な取り扱いが必要である。前期量子力学において完成された、波動を記述するシュレーディンガー方程式は、方程式そのものが非相対論的であるため、電磁波の記述ができないことが問題となった。20世紀初頭、実用化が始まっていた電磁波やマイクロ波の取り扱いには相対論を取り入れた量子力学、「場の量子理学」が必要となった。