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第48回 実在気体の科学(3)状態方程式 その2
 2018/1/14

(3)ビリアル展開
 ガスを取り扱うということは、分子を取り扱うということである。しかし、ガス分子がどういうものか、その種類や性質などが明らかになってから、まだ100年ほどしかたっていない。150年前、将来、酸素ガスや窒素ガスが大量に製造され、それを取り扱う企業や産業が現れるということを誰も想像できなかったに違いない。
 分子や原子は、電子に比べると桁外れに大きいが、それでも人間とは、10桁も階層が異なるため、それを調べ理解することは容易ではない。20世紀初頭から始まる新しい物理学のおかげで、われわれの時代は、それを学び利用することができるようになったが、この階層で起こっていることを理解するのには非常に長い時間がかかっている。
 350年前に、ボイルの法則(1662年)が見出され、その140年後にシャルルの法則(1802年、ゲイ=リュサック)、ドルトンの法則(1803年、分圧の法則)が見出され、19世紀初頭には、理想気体(ideal gas)の概念が定式化された。
   当時の道具や理論では、ガス分子そのものにはたどり着くことはできなかったが、ロバート・ボイル(アイルランド)、ジャック・シャルル(フランス)、ジョン・ドルトン(イングランド)、ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(フランス)、アメデオ・アヴォガドロ(イタリア)といった科学の天才たちによって、見えないけれども確かに存在する「気体」が科学的に理解され、その性質が法則として導かれた。
   しかし、実際の気体の振る舞いは、理想気体とは大きく異なり、単純ではなかった。実在気体(real gas)の研究が進み、ファン・デル・ワールスが導いた状態方程式(1873年)は、普遍性が高く、気体と液体を記述し、ガスの液化の道筋を示した。
  永久ガスは、次々に液化されヘイケ・カメルリング・オネス(18531926年、オランダ)がヘリウムの液化に成功して(1908年)、ついに永久ガスがなくなった。
   ファンデルワールスの状態方程式は、理想気体からのずれを二つのパラメータa,bを用いて記述しているが、簡潔な記述であるため、実在気体の振る舞いを、厳密に表現することは難しい。実際のガスを取り扱う機器の設計には、少し足りないようである。
   オネスは、実在気体の状態方程式を記述するために実在気体の理想気体からのずれを補正する項を導入、ビリアル展開(virial expansion)を用いた状態方程式を導いた(1901年)。
 
   ここで、Zは圧縮係数(圧縮因子、compressibility factor)と呼ばれ、実際の気体の容積を理想気体の容積で除した無次元数として定義され、理想気体では1となる。
  P
は圧力、Vは容積、Tは熱力学温度、添え字のmはモルあたりの量であることを表わしている。
 係数 BCD、…は、気体ごとに実験的に求められる定数(温度の関数)であり、第2ビリアル係数、第3ビリアル係数、…と呼ばれる。ビリアル(virial)とは、「力」を意味するラテン語である。
   この式は次のように書くこともある。
 
    係数 BCD、…の添え字Pあるいは、Vは、圧縮係数を容積で展開した場合と圧力で展開した場合のそれぞれのビリアル係数を表わしている。式の形から、実在気体であっても圧力がゼロ、あるいは容積が無限大の時に Z1になり、理想気体の状態方程式と等しくなる。
   状態方程式右辺の第1項は理想気体であり、第2項が二つの分子の間の相互作用、第3項が三つの分子間の相互作用の寄与、というように実在気体を表現している。したがって、第1ビリアル係数というのはなく、ビリアル係数は、第2から始まり、温度の関数となっている。
  多分子間の相互作用は非常に複雑であり、これを厳密に記述することは困難である。しかし、ファンデルワールスの状態方程式のように、あまりに簡潔に表現すると、実測値を表現するのに十分ではないということがある。
  オネスが導入した状態方程式のビリアル展開(ビリアル方程式と呼ぶこともある)では、展開する項の数を増やすことによって、実在気体の状態方程式をより精密に記述することができ、さらにこの手法は浸透圧の表現にも応用ができる。
  ビリアル係数は、通常、気体の種類ごとに温度の関数として与えられ、実験的に求められている。
 
 オネスは、ノーベル物理学賞を受賞者(1913年)。ヘンドリック・ローレンツ、ピーター・ゼーマン、ファン・デル・ワールスに続いてオランダ人で四人目の受賞である。
  一般に最もよく知られている業績は、ヘリウムの液化(1908年)や超伝導現象の発見(1911年)などの超低温の研究であるが、エンタルピーの提唱(→ エネルギーの発明(3)エネルギーを表現する関数)や状態方程式におけるビリアルの概念の提唱も非常に重要な業績である。
  特に、エンタルピーの提唱は、その後の科学だけでなく工学全般に対しても非常に大きな影響を与えている。カタカナ表記には、カマリン・オンネス、カマリン・オネスなどもよく見られ、ミドルネームがよく知られている。
   物理や化学の成果を工業的に利用する応用技術が現れ、より複雑な混合気体、液体を取り扱うようになり、実用的で数値精度の高い状態方程式が必要となってきた。特に20世紀の中盤に大きく発達した「化学工学」(chemical engineering)と呼ばれる新分野では、様々な種類の気体と液体を大量に取り扱うようになり、より精度が高く実用的な状態方程式が提案されるようになった。
  Mベネディクト、G.B. ウェブ、L.C. ルビンによる「BWR方程式」(1940年、高圧気液平衡、8つのパラメータを含む)、O.レドリッチとJ.N.S.クォンの「R-K方程式」(1949年)、ディン−ユ−・ペンとドナルド・ロビンソンの「ペン=ロビンソン式」(1976年)などがある。
  高圧の気液平衡を議論する時には、理想気体からのずれが大きくなるため、状態方程式だけでなく、実在流体の化学平衡も正確に記述しなければならない。深冷空気分離装置のような低温の蒸留装置を設計するためには、精度のよい混合物の気液平衡の取り扱い方法が必要である。混合流体の気体と液体の平衡状態を、厳密に表現することは、非常に複雑になることが予想されるので、精度だけでなく、できる限り実用的であることも必要である。
   
(4)フガシティー
   実在流体の状態方程式の多くが理想気体の式を基本にして、これを補正するような形式で表現しているが、実在流体の化学平衡も、理想気体の化学ポテンシャルの形式が成り立つようにする方法が考えられた。
 ジョサイア・ウィラード・ギブズ(1839〜1903年、米国)の熱力学平衡に関する概念をもとに、ギルバート・ニュートン・ルイス(1875〜1946年、米国)によって、実在気体、実在液体を表わす概念、フガシティー(fugacity、フガシチ)が導入された(1901年)。
   フガシティーは、高圧の実在気体の化学平衡を取り扱うためのものであり、深冷空気分離装置は、操作圧力が大気圧から500kPa程度とあまり高圧ではないが、低温で操作されるため、物性としては高圧の気液平衡として取り扱うべきであり、この概念が外せない。
   気体が容器に入っている時、その気体の圧力とは「分子が壁に衝突した結果の力」である。そのため、理想気体と実在気体では、同じ圧力を示しても、その圧力の元になっている現象は異なっている(ただし理想気体は、存在しないので理想気体の圧力も仮想のものである)。
  理想気体の分子は、並進運動エネルギーを持つが、実在気体では、それに加えて分子の回転・振動エネルギー、分子間相互作用エネルギーを含んでいるため、理想気体と実在気体が同じ圧力を示しても、その内容は異なり、同じ自由エネルギー(ギブズの自由エネルギー)を持っていないということになる。
   深冷空気分離装置のような蒸留装置において最も重要な物性は気液平衡である。
 気液平衡状態とは、気相と液相の間で、見かけ上、物質の移動がなく(気相と液相の量が変わらないず組成も変らない)、温度と圧力が等しい(全体が一様の温度と圧力)という熱力学的平衡状態である。実際には、気相と液相の間で、分子が移動していても、見かけ上、変化がなければ、それが平衡の状態である。
  系が混合物である場合、気液平衡状態において、一部の例外を除いて多くの場合で、気相と液相の組成が異なることが知られており、この物性を利用するのが「蒸留分離」である。
    気液平衡が成立するためには、熱力学的には、気液両相のギプスの自由エネルギーが等しいという平衡の条件が必要となるので、これを記述すれば蒸留分離において最も重要な物性を知ることができる。しかし、実在気体と実在液体の挙動は複雑であり、平衡状態を厳密に表現することは容易ではない。実在流体の化学平衡を理想気体の化学ポテンシャルの形式で成立するようにと考えられたのがフガシティーの概念である。
 実在気体と実在液体の間の気液平衡の条件を、気液両相のフガシチが等しいという条件に置き換えることによって、気液平衡の実用的な表現が可能となり、平衡状態における気相と液相の混合物の組成(気液平衡)を求めることができる。
   理想気体には、分圧の法則があり、混合ガスに含まれる各成分の圧力を定義できたが、実在気体の場合はフガシティーがこれに代わると考えることができる。したがって、非常に圧力が小さく分子間力が小さい混合ガスの極限は、理想気体であり理想気体のフガシティーは、分圧に等しいと表現することもできる。
 
   混合物の成分 i のフガシティー fi は、次式で定義される。
 
   pは圧力、μは化学ポテンシャル、上付き添え字の 0 は基準圧力における値を示す。
 理想気体のギプスの自由エネルギーを求める式の中に現れる圧力を、別のものに置き換えることによって、実在気体の式が使えるようにと考え出された仮想の圧力がフガシティーであり、「理想気体の式の中で使える実在気体の仮想の圧力」、あるいは「実在気体と同じ化学ポテンシャルを持つ理想気体の圧力」という概念を持ち、圧力と同じ次元を持つ。
   「ある実在気体と同じ化学ポテンシャルを持つ理想気体の圧力」=「フガシティー」であり、理想気体の分圧と実在気体のフガシティーの比をフガシティー係数( fugacity coefficient )と呼び、実測データに基づいて与えられる。
 
理想気体の成分 i の化学ポテンシャル
分子間力がなく、圧力は運動エネルギーのみから生ずる。
実在流体の成分 i の化学ポテンシャル
分子間力があり、フガシティーは他の分子の影響を受ける
フガシティー係数
 
   空気分離の場合は、主に窒素−アルゴン−酸素の三成分系の実測値を元にした「物性推算パッケージ」(物性推算式)が必要であるが、混合物の状態方程式、圧縮係数を求める計算式、気液平衡を記述するためのフガシティー係数の計算値が、実際のプロセス計算において十分な精度を持つことが重要である。もし、物性推算に許容できない誤差があれば正しい設計・製作ができないことになり、産業ガスのメーカー、プラント・機器メーカーにとって、具体的な物性推算、混合ガスの組み合わせ、物性データの適用範囲、推算の精度などは、非常に重要な情報、ノウハウとなる。