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第43回 カラム(5) ケルヴィンとレイリー

 2017/1230
   
修正 2018/02/08

ガスの科学に非常に関係の深い二人の人物、ケルヴィンとレイリーにはいくつかの共通点がある。
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科学史では、ふたつの名前が知られている。
ケルヴィン卿(18241907年、アイルランド)の本名は、ウィリアム・トムソン、
レイリー卿(1842〜1919年、イングランド)の本名は、ジョン・ウィリアム・ストラット、
二人とも本名と貴族の名前の両方が知られている。
A
古典物理学の大家であり、科学の発展に大きな貢献をした。
  彼らの残した成果は、現在でも様々なところで利用されている。
B
19世紀末から20世紀初頭にかけて、科学は大きな変革を遂げ、古典物理学は現代物理学へと大きく変貌する時代になった。しかし、二人はその流れに乗ることはなく、反対の立場をとった。
ウィリアム・トムソンの略歴
   ケルヴィン卿の本名は、ウィリアム・トムソン。
  温度の単位である「ケルビン」が最もよく知られるが、ジュール・トムソン効果やトムソン効果、トムソンの原子モデルなど、科学の成果として、トムソンの名前がよく知られている。ただし、ほぼ同時代の英国には、JJトムソンという同姓の物理学の大家も有名であるため、単にトムソンと呼ばれることはなく、フルネーム、ウィリアム・トムソンの名前でとおっている。
 ウィリアム・トムソンは、42歳の時に大西洋横断電信ケーブルの敷設に成功した功績でサー・ウィリアムとなり、66歳の時に王立協会の会長、就任中の68歳の時に男爵となってケルヴィン卿(Lord Kelvin)となった。ケルヴィンとは、ウィリアム・トムソンの出身地スコットランド・グラスゴーのケルヴィン川に由来している。
    24歳の時に提唱した絶対温度目盛りが後に熱力学温度として認められ、1954年から温度を表す物理の単位は「ケルビン」とされた。
ジョン・ウィリアム・ストラットの略歴
   ジョン・ウィリアム・ストラットは、貴族の家に生まれ、29歳の若さで、3代目レイリー男爵を継いだため、科学史ではレイリーの名前の期間が長く、レイリー散乱、レイリー波、レイリー数、レイリー・ジーンズの法則など、ストラットの名前よりもレイリーの名前の方が圧倒的に多く残っている。
  レイリーの業績は非常に多いが、ガスの科学としてみると、プラウトの仮説の研究に取り組み、それまで窒素と酸素の混合ガスだと思われていた空気の中からアルゴンを発見するという歴史に残る大発見をしたことが最大の業績である。
   
   19世紀の科学を大きく発展させたケルビンとレイリーであるが、その晩年において非常に大きな過ちをおかしてしまった。
20世紀の科学、量子論に異を唱えたレイリー
   19世紀末に、黒体輻射の研究が行われ、シュテファン=ボルツマンの法則やヴィーンの変位則などのの重要な発見がなされたが、最大の発見は、19世紀最後の月(190012月)にマックス・プランクが提唱した「エネルギーの量子化」「プランクの放射法則」である。
  しかし、レイリーは、これに異論をとなえ、レイリーの放射法則(後に計算の間違いが訂正されて「レイリー・ジーンズの法則」、1905年)を提唱した。
  プランクが提唱した「量子」の概念は、その後の科学を決定づける重要な発見であり、古典物理学を過去にしてしまうものであった。観測結果はプランクの理論が正しいことを示しているだけでなく、ヴィーンの放射法則やレイリーの放射法則は、根底部分から間違っていることが後に示されることになるが、すぐには受け入れられることはなかった。
  プランクが最初の論文を提出した時(42歳)、レイリー(58歳)は、既に物理学の大家であり、5年前には新元素アルゴンを発見している。学界の権威、レイリーに否定されたプランクの法則が認められるのは簡単ではなかった。
  プランクの画期的な理論が認められるということは、レイリーが完全に間違っていることを意味するので、量子論が正しいことが認められるのにはかなりの時間がかかるということである。プランクがノーベル物理学賞を受賞したのは1918年であった。
  20世紀初頭にはプランクに続いてアインシュタインやボーア、ド・ブロイなどの天才が次々に登場し、量子論は大きく発展をしていくが、レイリーは生涯、この新し物理学を認めようとしなかった。
20世紀の「現代物理学」と科学技術に異を唱えたケルヴィン
    ケルヴィンもレイリーと同様、20世紀の物理学を認めようとしなかった。
  ケルヴィンは、自らの理論によって、地球年齢1億年説を唱えていたが、それは20世紀の科学の前では破綻しかけていた。ケルビンは、原子核が崩壊するという新たな事実を認めようとしなかったため、放射年代による古代の岩石の年代も信じなかった。
  地球には、大量の放射性物質があり、その崩壊熱によって46億年たった今でも冷えて固まることがない生きた星である。しかし、ケルビンは、原子に原子核があり、それが崩壊して放射線や熱を出すという事実や理論を認めず、1億年よりも古い石を目の前にしてもそれを認めなかったのである。
   ケルヴィンが反対したのは、プランクの量子論やラザフォードの原子核の研究だけではない。これよりもずっと以前、1896年にも、「電波には未来はない」、「X線は人々をだますものと立証されるだろう」「空気よりも重い空飛ぶ機械を作ることは不可能である」などと発言し、当時の最新の科学や技術を厳しく非難している。
  その少し前、1892年からウィリアム・トムソンは、ケルヴィンを名乗るようになり、前年1895年までは王立協会の会長である。物理学の大御所ケルヴィンほどの人物ともなると、その影響力は非常に大きく研究を反対された若手の物理学者、技術者達は大いに困惑したに違いない。
  電波やX線や飛行機の研究をしていた人たちにとっては、とても厄介なことであったに違いない。しかし、5年後の1901年にはヴィルヘルム・レントゲンがX線の研究とその成果によって、初のノーベル物理学賞を受賞、7年後の1903年には、ライト兄弟が有人動力飛行に成功している。電波もX線も飛行機も偽物ではなく、20世紀にはいずれも重要な技術として発展した。
   ウィリアム・トムソンの時代、数々の成果を挙げて物理学にその名前を残した人物は、ケルヴィン卿となってからは、時代の先頭に立つことはなかった。熱力学温度や色温度の単位「ケルビン」に名前を残すほどの大人物でありながら、その業績の大半はトムソンのものであり、ケルヴィンとなってからは少しも科学の発展には寄与せず、むしろ邪魔をしていたのである。
  ガスの科学や技術に関わる者にとって、ジュール・トムソン効果は知らずに済ますことができない重要な成果であり、超低温の研究ではケルビンという単位も絶対に必要な言語である。しかし肝心のケルヴィン自身は、新しい科学を認めておらず、アルゴン、ヘリウム、ネオンなどレイリーやラムゼーが発見した新元素の挙動も説明できないのである(希ガスの液化は量子力学でなければ説明できない)。
   ウィリアム・トムソンとほぼ同時代の英国にはJJトムソンがいた。JJトムソンは電子の発見者として有名であるが、二人のトムソンが提唱した原子模型(原子の構造、原子モデル)も、それぞれ異なった「トムソンの原子模型」として知られる。原子模型は、ラザフォードの原子模型(原子核のまわりを起動電子が回る)の方が現実に近く、このモデルの欠点を解消したボーアの原子模型(電子は物質波)が最終的に正しいモデルとされたので、二人のトムソンが考えた原子は間違っていたということになる。
 二人のトムソンは、古典物理学の時代を代表する研究者であるが、現代物理学に異を唱えたウィリアム・トムソンに対してJJトムソンの方は、その後、積極的に現代物理学の分野に軸足を移し、原子核の研究を行い、安定同位体を発見した。
  20世紀初頭に発見された放射性物質と原子核の崩壊現象から、同位体(isotope)という概念は、放射性を持つ元素の性質だと思われたが、JJトムソンは、放射性ではないネオンの原子核に異なった質量数のものがあることを発見した。放射性ではない安定同位体が数多く存在することが明らかになり、物質の研究は大きく前進した。同じ古典物理学の権威でありながら、二人のトムソンが進んだ道は大きく異なっている。
二人の天才の晩年について思うこと
   科学の世界で大きな結果を残した天才たちは、いずれも前時代の常識を覆し、新たな発見をしている。しかし、どのようなすばらしい結果でも時代が進めば、どこかで限界に達したり破綻をきたし、次の段階へと進んでいっている。特に20世紀初頭は、マックス・プランクとアルベルト・アインシュタインに始まる科学の大変革の時代であり、その変化の中でそれまでの常識を捨てて前進した人と、古い概念に縛られたまま立ち止まった人がいる。
   レイリーやケルヴィンのように、それまでにすばらしい業績をあげた人が、新時代の研究者に協力するのではなく、反対側に立ったことをとても残念であるが、やはり大きな結果を残した人にありがちなことなのかも知れない。
   あの、アインシュタインでさえ生涯に2度、科学の進展の大きな抵抗勢力になったことがある。
一度目は、不確定性原理に反対し、自らもその確立に大きく貢献してきた量子論を根底から覆そうとしたこと。二度目は、宇宙の膨張説に反対し、自ら打ち立てた一般相対性理論を修正しようとしたことである。今日ではいずれもアインシュタインの主張の方が間違っていたとされている。
  不確定性原理に反対したのは「物理学は決定論的であるべき」という真念によるものであり、膨張宇宙論への反対は「宇宙ははじめからあったはず」とする定常宇宙論を信じていたからである。不確定であるという自然の本質の解釈について反対した理由には、アインシュタインの完璧主義のようなものを感じるが、定常宇宙論の方は、科学的ではない何か宗教的理由を感じてしまう。
  ことごとく物理学の常識を覆してきたアインシュタインほどの天才には、普通の人間にはとても近づけない超人のようなものを感じる。しかし、これほどの大天才であっても、いつかは、こうして、どこかで立ち止まってしまい、時代が天才を追い越していくことがあるようである。凡人には理解できないアインシュタインにもどこか人間味を感じてしまう。
   レイリーとケルヴィンは自ら打ち立てた権威に邪魔されて、新時代の科学を否定し続けたようであるが、アインシュタインは自らの信念と現実の世界との間で大いに悩み続けた本物の探求者のように思える。いずれにしても凡人には天才の心のうちは分からない。