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第34回 2−4 希ガスの科学
 2017/12/21
    2−4−1 希ガス 序論  
    2−4−2 アルゴンの発見
訂正 12/25

2−4−1 希ガス 序論
 アルゴンは19世紀末に発見された最初の希ガスである。空気中に0.93%という高い濃度で存在し、資源としても大量に存在するにも関わらず、長く発見されていなかった新元素である。ヘリウムは太陽大気で発見され、宇宙では水素についで二番目に多い元素であるが、地球上ではなかなか発見されず、20世紀初頭にウラン鉱石から発見された希ガスである。
    アルゴンは空気から、ヘリウムは一部の天然ガスから製造(分離・回収)される産業ガスであり、このふたつのガスは「希ガス」という呼び名にはふさわしくないほど豊富に存在している。物質世界には「不活性な(化合物を作らない)元素」というものは存在しないが、希ガスの多くは、多くの条件下で非常に不活性に近い性質を持つため、アルゴンとヘリウムは、様々な分野でほぼ不活性であるという性質が利用されている。
    希ガスはほとんどの場合、化合物をつくらず、地球上の環境では液体ではなく気体で存在するため、他の地球上の元素のように、化合物の液体または固体、あるいは鉱物資源のような形では存在していない。
  地球創世記に存在していた希ガスの大半は地球外へ散逸してしまっており、現在地球上で発見されている希ガスは、地球誕生後に親物質の放射性崩壊によって作られ、偶然地球の外に散逸せずに残っている単原子分子である。
  アルゴンは、地殻中で発生し(現在の作られている)、対流圏の大気(空気)の成分とうまく混合され、1%近い濃度で存在することができた。ヘリウムは空気中には留まることができず宇宙空間へと散逸するため大気中にはわずかにしか存在しない。しかし、地殻中の限られた条件のところに存在し、一部の天然ガスに含まれ、天然ガス生産の副産物として生産されている。
  その他の希ガス、すなわち、ネオン、クリプトン、キセノンは極微量が空気中に存在するのみで、地下資源としては存在せず、まさしく希なガスと呼べるものである。ラドンはすぐに崩壊してしまうため、空気中には発生源の近くに局在するのみで資源としては存在しない。オガネソンに至っては人工元素であるため利用することはできない。7種類ある希ガスのうち2つ(アルゴン、ヘリウム)は資源として大量に存在し、産業利用されているもの、3つ(ネオン、クリプトン、キセノン)は、その名前の通りに本当に希なガスであるため用途が限定されているもの、2つ(ラドン、オガネソン)は放射性崩壊が速く、ほとんど利用できないものである。
    希ガスの発見と研究には、19世紀末からの空気の液化技術が大きく関わっており、深冷空気分離(空気の蒸留分離)の始まりと希ガスの研究は、非常に密接な関係にある。空気を原料とする空気分離プロセスの主役は酸素と窒素であるが、空気に1%近くも含まれるアルゴンは、蒸留分離における非常に重要なファクターであり、微量に含まれるヘリウム、ネオン、クリプトン、キセノンもその挙動を無視することができない物質である。
産業ガスとしての アルゴンとヘリウム
  アルゴンとヘリウムは、工業的に大量に利用される重要な希ガスである。ふたつのガスには、いくつかの共通点があり、
 
@
希ガスとしては例外的に資源量が豊富であり、大量に生産される産業ガスである
A
資源となっている空気中のアルゴンと地殻中のヘリウムの大半は、地球創世記にはなかった元素である
B
アルゴンとヘリウムの親物質である放射性物質は、地球上に普遍的に存在し、崩壊によって新たな元素が作られ続けている。
  酸素や窒素、炭素のような地球を作っている主要な元素は、太陽系以前の恒星における元素合成と超新星爆発によって合成されたものであり、太陽系で、新たに生成されることはない。しかし、地球のアルゴンとヘリウムの元素の大半の同位体は、こうした元素合成ではなく、原子核崩壊によって作られたものであり、今も生成され続けている。
    類似点が多い一方、アルゴンとヘリウムの資源としての性質は、極端に異なっている。
 
@
アルゴンは、空気中に1%近くも存在し、空気は世界中どこにでもある。
産業用のアルゴンは、深冷空気分離装置で酸素と窒素を製造する時に分離・併産されており、酸素や窒素と同じく、原料がどこにでもある地産地消のガスである。
A
地殻中で発生しているヘリウムは、一部の天然ガス田から回収・生産されている。
空気中の ヘリウムの濃度は、天然ガス中のヘリウム濃度に対して何桁も低いため、空気からヘリウムを工業的生産することは不可能である。
また、ヘリウムは全ての天然ガスに含まれているのではなく、ヘリウムを高濃度に含む天然ガス田は限定されているため、ヘリウムの資源は、極端に偏在している。
B
ヘリウムは、天然ガスを生産する時に、分離・一時保存(粗ヘリウムガス)され、深冷分離によって精製されているが、生産地が限られ、消費地は世界各地にあるため、液化されて長距離輸送・供給されている。ヘリウムは、地産地消のアルゴンとは正反対のグローバル商品となっている。
   アルゴンはどこでも製造できる「地産地消のガス」であり、ヘリウムは産地限定されているため、産地と消費地をつなぐ「グローバルに輸送されるガス」という違いが大きいのである。
   現在、地下資源のうち、石炭だけは化石燃料であることが科学的に確かめられており、石炭層からしから採掘されない。しかし、石油と天然ガスは、化石層とは無関係に埋蔵されており、有機起源(生物起源)なのか無機起源(地球深部資源あるは生成資源)なのかは未だに謎のままである。
  特に天然ガスの場合は、無機起源と有機起源のものが両方存在するようであり、未だに成因がはっきりしないことが多い。そうした地下の天然ガスの中には、全くヘリウムを含まないものが多く、一部のガス田では数%近い高濃度のヘリウムを含むこともある。生物の中にはヘリウムは含まれておらず親物質であるウランもわずかしか含まれていない。したがって、もし天然ガスが化石燃料であると仮定してもその中に含まれているヘリウムは生物起源にはなりようがない。また無機起源の天然ガスの場合は、地球深部の高温高圧の条件が必要と考えられており、その場合もウランの存在範囲とは異なるため天然ガスの生成する場所とヘリウムの生成場所が一致することは考えにくい。
  天然ガスの起源が無機起源、有機起源のいずれであっても、ヘリウムの生成機構とは異なるため、おそらく、地殻中で発生したヘリウムは移動すつ途中で天然ガス層に捉えられ、混合ガスとして貯留されることによって大気中に拡散、地球外へ散逸することを免れて、地球に存在しているものと思われる。
2−4−2 アルゴンの発見
アルゴンの発見(1)「希ガス」という名称
   アルゴンは、周期表第18族元素の「希ガス」(rare gas)である。第18族は、最外殻電子が閉殻となっているため、化学的に非常に不活性であり、地球上でも単原子分子として存在することができる。
希ガスあるいは「稀ガス」という名称は、発見が難しく、分離や製造が難しい時代につけられた名残であるが、代表的な希ガスであるアルゴンとヘリウムは、希少なガスではない。したがって、IUPAC(国際純正・応用化学連合)では、rare gas ではなくnoble gasという名称を使うように勧告、日本語では、これに同じ発音の「貴ガス」という文字をあてた。noble gas、貴ガスには、不活性という意味がある。
   しかし、これも実際とは異なる。100年前のアルゴンの発見当時、「化合物を作らない元素」の存在は化学の非常識であった。発見者のラムゼーはアルゴンの化合物を合成あるいは発見するために奮闘したが彼の時代ではうまくいかなかった。しかし、20世紀になって、希ガスの化合物が発見され、合成することも可能になった。完全に不活性なガスというものは存在しないため、第18族元素の性質を表す呼び名として、希少な「希ガス」も反応しない「貴ガス」も正しい表現ではないということになった。しかし他によい言葉がないのか、現在もこの名称が使われている。
  多く場面で「希ガス」が使用され、IUPACが示す「貴ガス」の方は、それほど普及していないようである。
   これは、酸の素(酸性の要因)ではない酸素が、ずっと酸素と呼ばれているのに似ている。今さら、酸素を酸の素と勘違いすることはないが、希ガスの場合は、その文字の印象から「希少なガス・元素」、あるいは、「貴ガスは化合物を作らないガス・元素」と勘違いすることがあるかも知れない。
   また、元素のグループの特性を表わす言葉は、「金属元素」「アルカリ金属」「半金属元素」「アルカリ土類金属」「ハロゲン」「遷移金属」など化学的性質が使われるのが普通であるが希ガスの場合は、状態を表す「ガス」が名称になっている。18族の元素は常温で、いずれも気体であるため、名称は「希ガス」であるが、ガスの状態にあるということと元素の性質は異なるため、何か変である。
アルゴンの発見(2)参考文献
   原光雄著「化学を築いた人々」に紹介されるラムジー(ラムゼー)には次のような説明がある
  「ラムジーの名前が化学史上に不朽のものとなったのは、アルゴンをはじめとする稀ガスの発見にもとづいている。この発見は周期表の上に新たに零族という特殊な元素をつけ加えたものであって、単なる個々の元素発見以上の業績であった」
   希ガス元素の発見は、周期表に全く新しい列(族)を加えたことでも高く評価されるとあるが、この時(原先生の記事が連載されたのは1951〜1953年)は、まだ周期表の右端は、「18族」ではなく「零族」と呼ばれていた。
 
 アルゴンが空気の中から発見された時の経緯については、奥野久輝(立教大学名誉教授)らがまとめた日本化学会編「化学の原典9・希ガスの発見と研究」(学会出版センター、1976年)に詳しい解説がある。
 この本には、アルゴンや希ガスを発見したレイリーやラムゼーが著した論文や手紙などが集められ、翻訳、解説がされ、19世紀末の実験装置や実験の手法、発見に至る経緯、周囲の反応などが、非常に詳しく解説されている。是非、手にとって読んでみて欲しい。先人たちの科学に取り組む姿勢やその考え方がとても参考になるはずである。本の中で紹介されているラムゼーらの手紙の一人称は「余は…と考える」と非常に古風に訳されている。
「化学の原典9・希ガスの発見と研究」
左が自宅の本棚にある初版本(1976年)、右が図書室で見つけた重版(1983年)
    また、原光雄著「化学を築いた人々」の「ラムジー」の項にはラムゼーの人となり、アルゴンや希ガスの発見の経緯が詳細に述べられている。この本にもラムゼーとレイリーのアルゴン発見の話や、ラムゼーがその後発見した、数々の希ガスのことが非常に詳しく説明されている。
アルゴンの発見(3) ヘンリー・キャヴェンディッシュ
    18世紀末、空気には、窒素(1772年、ダニエル・ラザフォードが発見)と酸素(1774年、ジョゼフ・プリーストリーが発見)が含まれていると考えられるようになり、アントワーヌ・ラヴォアジェ(フランス)が、空気がいくつかの物質からできていることを見出し、その中の物を燃やす力のある物質をオキシジェーヌと命名した(1779年)。
 当時のほとんどの化学者は、空気には、窒素と酸素しか含まれていないと考えていたが、ただひとり、ヘンリー・キャヴェンディッシュ(1731〜1810年、イングランド)だけが、空気中に不活性な(inactive)気体が微量存在することを実験的に証明していた(1785年)。
  化学者にとって、窒素は不活性ガスではなく、空気中の酸素と窒素を反応させて窒素酸化物を作る様々な化学実験が行われていたが、キャベンディッシュは、酸素と窒素を除去してもわずかに残る不活性なガスの存在に気付いていた。
   キャベンディッシュは、水素を発見、水が化合物であることを発見したことで知られる英国を代表する化学者であるが、人間嫌いであったこともあり、生前にはあまり多くの論文を発表していないことでも知られる。
  後年、キャベンディッシュの研究が調査され、発表されていなかった研究成果の中からは、シャルルの法則(シャルルの8年前)、クーロンの法則、オームの法則(オームの46年前)、などと同じ発見が多く見つかっている。科学の大発見には先取権争い、技術の開発には特許権争いがつきものであるが、このキャベンディッシュという人にとっては、そういうことはどうでも良いことであって、彼は科学の探究そのものにしか興味がなかったようである。
 
  研究結果の多くを公表しなかったキャヴェンディッシュであるが、いくつかは発表されており、その中のひとつに、「空気には窒素の120分の1の微量の不活性ガスがある」という実験結果の報告があった。
  現在の空気の組成は、窒素78.084%、アルゴン9340ppmであるから、アルゴンは窒素の119.6分の1である。キャベンディッシュは、驚くべき正確さで未知の元素を発見していたということになる。しかし、その論文は110年間も全く無視され、誰もその正体を確かめようとはしなかった。長い間信じられていた人々の常識では、空気の主成分は窒素と酸素だけであり、微量に含まれる水蒸気や二酸化炭素を除くと他の成分が含まれている訳がなかった。それまでのほとんどの実験や理論が空気が酸素と窒素の混合物であることを示しており、未知の元素が入り込む余地はなかったのである。キャヴェンディッシュの結果を除いては。
18世紀にアルゴンを発見していたキャヴェンディッシュ
    キャベンディッシュが指摘したその気体が、「アルゴン」という新元素として正式に発見されたのは、19世紀末のことである。レイリー卿(1842〜1919年、イングランド)とウィリアム・ラムゼー(1852〜1916年、スコットランド)は、1894年に空気の中から新元素アルゴンを発見した。
 ウィリアム・ハンプソン(イングランド)とカール・フォン・リンデ(ドイツ)による空気の液化が1895年、ジョルジュ・クロード(フランス)による空気の液化は1902年である。最初に空気が液化され、空気分離による酸素製造が実用化されるようになった時、アルゴンはまだ新発見の元素であった。
アルゴンの発見(4) レイリー(ジョン・ウィリアム・ストラット)
 
 アルゴンを発見したレイリーとは、ジョン・ウィリアム・ストラットのことである。ストラットは、何人もいるレイリー卿のひとりであり、他にも物理学者のレイリーはいるが、普通、物理学者レイリー卿といえば、「第3代レイリー男爵」、ジョン・ウィリアム・ストラットのことを指す。
 このレイリーという呼び名は、日本でいえば、水戸中納言「水戸黄門(唐名)」のようなものである。水戸黄門という唐名の人物は7人いたが、時代劇に登場する水戸黄門と言えば、ただ一人、水戸藩2代藩主「徳川光圀」を指す。水戸黄門=光圀と同じように物理学では、レイリー=ジョン・ウィリアム・ストラットである。31歳の時にジョン・ジェームズ・ストラット(2代目レイリー卿)から爵位を受け、この年に王立協会会員となり、37歳の時に、ジェームズ・クラーク・マクスウェルから引き継いで2代目キャヴェンディッシュ研究所所長になっている。
アルゴンを発見した物理学者レイリー卿
 @物理学の大家レイリーは工学分野でも有名
   レイリーは、19世紀末から20世紀初頭の古典物理学の大家である。光のレイリー散乱(空が青い理由を説明)、レイリー波(地震の表面波)、黒体輻射(レイリー・ジーンズの法則)、光の分解能(レイリー限界)、レイリー電位計、入射光子数の単位レイリー、音響理論など、多くの業績によってその名前が知られる。
  物理学を勉強した人であれば誰でもが、その名前を知っているはずの大家である。
   レイリーの成果は、物理学の教科書だけでなく、工学系の教科書でもよく目にするため、工学部出身者でも、たいていはその名前をどこかで聞いているはずである。
   流体力学・伝熱のレイリー数(熱伝導と熱伝達に関する無次元数)がよく知られるが、マッハ数やレイノルズ数のような比較的ポピュラーな無次元数に比べるとややマイナーなイメージがある。しかし、機械工学や化学工学で多用される「無次元数」の考えは、「レイリーの方法」に基づいており、本家はレイリーである。「現象が複雑で記述する基礎式を得ることが困難な場合、無次元数を求めて記述する」という手法がよく用いられる。
  工学系の複雑な現象を記述する時、無次元数に関するバッキンガムのπ定理を用いて、これを定式化することが広く行われている。レイノルズ数やプラントル数、シュミット数など、よく知られる無次元数が実験データの解析や評価に用いられている。分野や現象に応じて特有の無次元数がある。
  ある無次元数がある無次元数の0.8乗に比例するなどという整理方法は、理論的根拠に乏しく、科学的な説明になっていないという批判もあるが、複雑な現象を厳密に記述するのは困難であり、関連する物理量をまとめて無次元数のグループで記述して数式(実験式)にするという方法は、実用的であり工学にはなくてはならない手法である。
  無次元数による現象の記述は、レイリーによって考え出された手法であり、レイリーは理論的な物理学だけでなく、実学の分野にも貢献をしている。
 A「プラウトの仮説」に挑んだレイリー
    レイリーは、ケンブリッジ大学の教授を辞め、郷里に戻り、屋敷に実験室を作り、「プラウトの仮説」(Prout's hypothesis1815年)を再検討するために主要気体の密度の測定を始めた(1882年)。レイリーがアルゴンを発見する話しはここから始まる。レイリー40歳の時である。
 プラウトの仮説とは、ロンドンの開業医ウィリアム・プラウト(1785〜1850年、イングランド)が提唱した原子の構造に関する仮説で、「水素の原子量を1とすると、その他の原子の原子量はその整数倍になる」というものである。しかし、塩素(原子量35.45)など、この仮説に従わない元素があったため、多くの学者がその理由を調べるために原子量の詳細測定を行っていた。気体の密度の測定は、それほど難しいものではないが、プラウトの仮説を検証するために必要となる精密測定となると慎重で難しい実験手順が必要であった。
   レイリーは、3年後には、英国王立研究所の教授に就任したが、ほとんどの時間を屋敷内の実験室で過ごし、気体の密度の精密測定、プラウトの仮説の検証に費やした。レイリーは、水素や酸素の相対密度や絶対密度の精密測定を行い、続いて、窒素の密度を測定、その時に気付いたわずかな値の違いが重大な発見につながることになる。
   当然、窒素ガスが販売されている訳ではないので、測定する窒素ガスは何らかの方法によって自ら製造しなければならないが、当時の実験室における窒素の製造は、空気から酸素や二酸化炭素を化学的に除去して行われるのが普通であった。
 しかし、レイリーは、窒素の密度を測定するために、この方法に加えて、化学薬品を分解して窒素を作ることも同時に行った。当時の化学の常識であれば、いずれの窒素も変わりがないはずであるが、レイリーは、複数の製法で窒素を製造し、亜硝酸アンモニウムなどを分解して作った窒素(これを「化学窒素」と呼ぶ)の方が、酸素を除去した空気(「空中窒素」と呼ぶ)よりも1000分の1軽いことに気づいた。
    レイリーは空気から化学的に窒素を得るのが当たり前であった時代に、わざわざ、一酸化窒素(NO)、一酸化二窒素(N2O)、亜硝酸アンモニウム(NH4NO2)からも窒素を製造、空気も含め、4種類の原料物質から化学的に窒素を作ることを行い、これらの密度を測定して比較した。レイリーの密度測定実験の開始は1882年、第一報は1888年、酸素、窒素、空気の密度の精密な測定結果は1892年に発表された。
 B「空気から得られた窒素は重い」
    レイリーは1894年、この「空気から得られた窒素は重い」という事実を公表、空気には、酸素と窒素以外の気体が含まれるのではないかということを示唆した。
  "On an Anomaly encountered in Determinations of the Density of Nitrogen Gas", Load Reylegh (Secretary of the Royal Society), Proceeding of Royal Society., 55, 340-344,(1894)
   アノマリーとは、法則・理論、科学的常識からみて異常、または説明できない事象という意味であり、それを窒素ガスの密度測定において発見したという報告、「窒素ガスの密度の測定で遭遇した異常」という論文である。
    レイリーは、この論文の前にも主要な気体の密度に関して複数の論文を発表、創刊されてから20年ほどたっていた英国のネイチャー誌にも投書を行い、実験方法について詳細な報告を行っていた。王立協会のように権威ある学会での発表だけでなく、一般誌であるネイチャー誌という媒体でも、広く実験結果を公表していったのである。
 C「化学窒素」と「空中窒素」
    このような科学の常識を覆す発表には、当然のことながら多くの異論・反論が現われることになる。化学窒素と空中窒素の製造方法、製造の過程における不純物、測定法の詳細など、数多くの問題について議論がなされた。
 レイリーも含めて多くの研究者による酸素の密度の報告は、どれもほぼ等しかったので、測定方法についてはほぼ間違いはなさそうであった。しかし、窒素の密度は、他の研究者の報告が1.256g/Lほどであったのに対し、レイリーの報告は、1.257 g/Lとわずかに大きかった。
当時、空気の組成は、窒素0.79059、酸素0.20941とされていたが、この組成を用いて、酸素の密度と窒素の密度から計算によって求められる空気の密度と、直接測定された空気の密度を比較すると、他の研究者の窒素の値では合わなかった。しかし、レイリーが報告した空中窒素の密度を用いると、両者は、ぴたりと合っていた。これから、化学窒素よりも空中窒素の方がわずかであるが、1000分の1だけ重いというレイリーの結果は正しいだろうと思われた。
アルゴンの発見(5) レイリーとウィリアム・ラムゼー
 
 空中窒素が化学窒素よりも重いことは事実として認められることになったが、レイリーもその理由までは分かっておらず、この結果を公表することによって、多くの科学者に問題提起を行うことにした。レイリーの講演会に参加したラムゼーは、その理由を探求するための研究を申し出て、そこから、物理学者レイリーと化学者ラムゼーの共同研究が始まった。
  状況は異なるが、気体の膨張と温度変化の関係に気づいたウィリアム・トムソンが、ジュールに声をかけて、二人の共同研究の結果ジュール・トムソン効果の発見につながったが、同じように、二人の英国の科学者によって、この「重い窒素」の研究が始められ、アルゴンを始めとする希ガスの発見が行われた。
アルゴンを発見した化学者ラムゼー
   当初、レイリーは、化学窒素に問題があるのではないかと考えていたが、窒素酸化物やアンモニアの合成など、化学の分野の窒素に詳しいラムゼーは、空中窒素の方に問題があると考えた。
  ラムゼーは、無酸素空気(空中窒素)から化学反応で窒素を除去し、そこにわずかに残った重い不活性な気体を分離することに成功した。他の研究者は、無酸素空気が化学窒素より重いのは、酸素が残留しているからだと指摘したが、ラムゼーは酸素を完全に除去し、空気には酸素と窒素以外の物質が存在すると主張した。
   レイリーは、110年前のキャベンディッシュの論文を発掘調査し、そこには、空気には酸素と窒素以外の気体が含まれているかも知れないことが記され、キャベンディッシュによって、ある程度の実験までが行われていたということを知った。王立協会の図書室に長く保管されていたキャベンディッシュの論文がレイリーによって発見されたのである。
 

 レイリーは、ラムゼーが分離した気体が、窒素とは異なるスペクトルを持つことを確認した。レイリーとラムゼーは、これは新元素であると確信し、ギリシャ語で「怠惰な」「不活発な」という意味を持つ「argon、アルゴン」と命名した(18951月)。レイリーとラムゼーが発見・命名した新元素は、ドイツ語やフランス語でもArgonL’argonであり、日本語もカタカナのままアルゴンである。

   論文の名前は、「アルゴン、新しい空気の成分」である。
 

"Argon, a New Constituent of the Atmosphere", Load Reyleigh, W. Ramsay, Philosophical Transactions of the Royal Society, 186, 187-241(1895)。

   彼らは、アルゴンの存在を確認、溶解度や比熱比などの物性が測定された。しかし、一酸化二窒素を寒剤とした冷却(温度−90℃)が試みられたが、アルゴンの液化には成功しなかった。新元素発見には、物性の測定が不可欠であるが、液体アルゴンの物性は得られなかったのである。
    当時、ラムゼーはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの化学の教授であり、すぐ近くのロンドン王立研究所には、低温物理学で有名なジェイムズ・デュワー(1842〜1923年、イングランド)がいた。しかし、ラムゼーはデュワーの支援を要請せず、アルゴンの試料は、デュワーには渡されることなく遠く離れたポーランドのクラクフ大学のカオル・オルショウスキー(1846〜1915年、ポーランド)に送付された。
  オルショウスキーは、アルゴンを液化、固化し、その臨界温度、臨界圧力、融点、蒸気圧などを測定、新しい元素アルゴンの物性が調べられた。
 

 1895131日、ロンドン大学でアルゴンに関する特別討論会が開かれ、ラムゼーとレイリーは、アルゴンが新しい物質(元素)であることを発表、翌日には、オルショウスキーがアルゴンの液化を報告した。レイリー51歳、ラムゼー42歳、オルショウスキー49歳である。13年間も気体の密度の測定を続けたレイリーはついに新元素を「空気の中から」発見したのである。

アルゴンの発見(6) 常識破りのアルゴン
   ラムゼーらはアルゴンの存在を証明し、この討論会以降、アルゴンの存在が広く知られるようになった。しかし、様々な疑問が投げかけられ、この新発見は、すぐには、賞賛されることはなかった。たとえば、「何か他の化合物ではないのか」、「重いのは窒素の同素体N3ではないのか」、「単原子分子というものが存在するのか」、「アルゴンの化合物がみあたらない」、「報告された原子量が39.9というのは周期表にあてはめることが困難である」、といった意見が出された。
  特に、多くの化学者が「長い年月、調べられてきた空気に新種の気体が1%近くも含まれているはずがない」という不信の念をいだいた。
    当時の技術ではアルゴンの化合物を作ることができなかったが、化学的に不活性ということが、特に重大な問題であった。化合物を作らない元素があるということが、化学の常識では考えられなかったため、新元素の発見は容易には受け入れられなかった。デュワーは、これは新元素ではなく窒素N3であるという発表を行っている。すぐ近くに低温や液化のエキスパートであるがデュワーいたのにも関わらず、このようなポーランドまで試料を送ったのは、デュワーが新元素アルゴンを認めていなかったことやラムゼーとデュワーの不仲が理由らしい。
   比熱比の測定から、アルゴンは二原子分子ではなく単原子分子であることが明らかとなったが、これも常識を覆す大発見であった。比熱の測定から単原子分子であると特定されたことは、物理学者の間では高い評価が得られたが、化学者の多くが馬鹿げていると感じた。
  単原子分子の比熱比γ=Cp/Cv=5/3=1.66、二原子分子の比熱比はγ=Cp/Cv=7/5=1.40、当時は水銀蒸気を除いて単原子分子の気体は発見されていなかったので金属以外ではアルゴンがはじめての単原子分子ということになった。
   アルゴンが新元素であるということが次第に明らかになってきたが、重さの問題が残った。
  既知の元素から、周期表の空欄を埋めるアルゴンには、およそ38の原子量が予想されていた。その後の原子や原子核の研究から、18番元素であるアルゴンの平均的な原子量は36に近いはずであるが、当時の予想値38よりも、測定された原子量はさらに大きい40であった。アルゴンの予想外の重さが問題となった。
  当時は、原子の構造や、その中の原子核のことなどは全く分かっていない時代であるから、周期表における原子番号の本当の意味もまだ分かっていない。元素の性質は、原子量が決めているとも思われていたため、異常に重いアルゴンを周期表にあてはめるには、その順番が問題とされた。
 

 当時、周期表には、52番元素テルル(原子量127.5)と53番元素ヨウ素(原子量126.9)の間に原子量の逆転が見出されていた。周期表は性質ごとに縦に並べられているため、テルルとヨウ素のように原子量が逆転しているのは、原子番号が間違っているのではなく、原子量の測定値が間違っていると考えるのが普通であった。

   18番元素であるアルゴンの原子量39.94819番元素のカリウムの原子量39.083も大きく逆転した。いずれの原子量の測定値も間違いがないと思われていたため、新元素アルゴンで周期表の空欄を埋めようとした時、ラムゼーらは非常に悩んだ。そこで、空気中のアルゴンの多くは単原子分子であるが、一部は二原子分子が混じっていると考えると、つじつまが合うとも考えられた。
  しかし、実際は、空気中のアルゴンは単原子分子だけである。当時は、まだ原子の構造が正しく理解されておらず、また空気に含まれるアルゴンの起源・成因も分かっていなかったため、アルゴンの原子量が異常に大きいということを説明することができなかった。
   現在、深冷空気分離装置でアルゴンを分離するために、酸素−アルゴン系のサイドカラム(アルゴン蒸留塔)が用いられているが、「窒素−酸素系」、「窒素−アルゴン系」の気液平衡に比べて「酸素−アルゴン系」の気液平衡が近いため、蒸留分離がしづらいため、この蒸留塔は、製品量に比較して塔径が大きく(還流比が大きい)、分離に必要な段数も多い。
   よくある蒸溜装置では重い物質が底(塔底)に溜まり軽い物質が上(塔頂)に濃縮されることが多い。軽い物質の方が揮発性が高く、液体混合物となった場合でも軽い物質の方が気相中に濃縮しやすい傾向にあるためである。しかし空気分離の場合は、酸素に対してアルゴンの方が蒸発しやすい。したがって、アルゴン塔では、重いアルゴンが塔頂に、軽い酸素が塔底に濃縮される。二原子分子で活性の高い酸素分子と単原子分子でほとんど不活性であるアルゴンは、性質が大きく異なるように想像されるが、気液平衡という関係では非常に物性が近く、しかも重いアルゴンの方がわずかに揮発し易いのである。
  周期表の中の並びが特殊なアルゴンであるが、蒸留塔としても変則的である。そして、もしアルゴンが、当時の周期表が予想する通り、もっと小さな原子量36のを持っていたなら、気液平衡ももう少し異なり、蒸留塔の大きさも異なっていたのかも知れない。
アルゴンの発見(7) ノーベル物理学賞とノーベル化学賞
   新元素アルゴンは、身近な空気の中に含まれていたが、長い間、誰にも気付かれず、レイリーの地道な研究によって発見された。しかし、化合物を作らないことと、異常に重いという2つの疑問はしばらくの間、解決されなかった。
  新元素アルゴンの発見から10年後の1904年、1901年に新設されたノーベル賞が二人に授与された。レイリーには、ノーベル物理学賞が、ラムゼーにはノーベル化学賞が授与された。
  物理学賞の受賞理由は、「重要な諸気体の密度の測定と、これに関連してのアルゴンの発見」、化学賞の受賞理由は「大気のなかの不活性気体元素の発見と周期律によけるそれらの位置の決定」と表現は異なっているが、実質的にはアルゴンの発見に対して2つのノーベル賞が与えられたといってもよさそうである。
  アルゴンの発見は、同じ業績に対して、ノーベル物理学賞とノーベル化学賞という2つの賞が同時に与えられるというノーベル賞の歴史の中でも極めて珍しいできごととなった。
  非常に身近で長年研究されつくされ、その物性がほとんど分かっていたはずの空気の中からアルゴンをはじめとしてその他の希ガスも発見されたということの科学的意義は非常に大きい。物理学者レイリーと化学者ラムゼーの科学者としての探究心・執念を感じる。
アルゴンの発見(8)希ガス化合物
   アルゴンには、化合物を作らないということと、異常に重いということの2つの課題が残った。
ラムゼーは、希ガスの化合物を作ることや発見することはできなかったが、その後「貴ガス化合物」(noble gas compound、希ガス化合物)が多く発見されている。
 

 はじめの頃の希ガス化合物は、クラスレート、配位化合物、水和物などの形態であったが、その後、単純な構造の化合物も発見された。貴ガス化合物は、酸化剤などに利用されているが、電子励起状態の原子分子が、他の原子分子と形成する分子・エキシマ(excited dimer、excimer)の利用がよく知られている。ArF、KrF、XeCl などの希ガスエキシマ化合物があり、エキシマレーザーの発振に用いられ、半導体用のリソグラフィーや視力矯正用のレーシック手術用レーザーなどに利用されている。

   一方、アルゴンの異常な重さの理由を知るには、アルゴンの起源、原子核崩壊、同位体の存在など、いくつかの科学の進展を待たなければならなかった。
アルゴンの発見(9)アルゴンの発見と空気分離
    レイリーとラムゼーがアルゴンを発見するまで、空気は窒素と酸素の混合物(と少量の不純物)からできていると思われていたため、空気分離による酸素製造法が発明された当時はアルゴンはまだ空気の中から発見されたばかりの元素である。
 その性質も使い道も分かっていなかった。酸素の製造プロセス、窒素の製造プロセス、酸素と窒素の同時生産プロセスは考案されたが、アルゴンのことは考慮されず、製品酸素の中に含まれるただの不純物であった。
 現在、アルゴンは、深冷空気分離装置を設計する時の重要なキー成分であり、酸素の生産量や装置の性能を確保する上でも、その挙動を正確に予測することが重要であり、アルゴンの存在を無視した深冷空気分離装置の設計はあり得ない。
 しかし、発見当時は、空気の中から1%近い高濃度で未知の元素が発見されるということは誰も想像していなかったため、最初の空気分離装置ではアルゴンを効率的に分離する方法も、それを利用する方法も考えられてはいなかった。
  深冷空気分離装置では、その後の技術の進歩によって、アルゴンの工業生産が可能となり、希ガスの性質が明らかになり、用途が開拓されることによって、アルゴンは重要な産業ガスになっていった。吸着法などの他の分離方法では、空気からアルゴンを効率よく製造することはできない。もし、酸素の原料が空気ではなく、その分離法が蒸留でなかったならば、アルゴンをはじめとする希ガスの工業的な利用はなかったのかも知れない。使用済みで純度が劣化したアルゴンガスを回収・精製して再利用するプロセスには蒸留以外の方法も実用化されているが、空気を原料としてアルゴンを効率的に回収する方法は蒸留法だけである。
 

アルゴンの主な物性

原子量

39.948

密度 [kg/m3] (0、101.3kPa)

1.784

沸点 [K]  (101.3kPa)

87.30

融点 [K]

83.80

三重点 [K]

83.806

ファンデルワールス半径 [nm]

0.188

※アルゴンの標準沸点と融点は比較的近い。液体アルゴンを取り扱うプロセスではアルゴンの固化に注意が必要。

アルゴンの発見(10) 5人のウィリアム
   ふと気づいたことがある。
  レイリーが大学教授を辞めて屋敷に実験室を作ってまでやろうとしたことは「プラウトの仮説」の研究である。すべての元素が水素の整数倍の原子量を持つであろうという予測である。彼の時代には原子模型や原子核の発見までは至っていないため、結論を導くことはできなかったが、このプラウトの仮説がアルゴン発見のきっかけになているのは間違いない。プラウトの仮説を提唱したのはウィリアム・プラウトである。そしてレイリーの名前は、ジョン・ウィリアム・ストラット、共同研究を行ったラムゼーの名前もウィリアム・ラムゼーである。偶然にもここには3人のウィリアムが関わっている。
  ラムゼーはその後、次々と希ガス新元素を発見するが、その研究に大きく貢献したのが、当時英国で世界最古の酸素会社を作っていたBOC社である。BOC社はブリン・プロセスによって酸素製造していたが、BOC社の技術者ウィリアム・ハンプソンは世界に先駆けて空気の液化に成功、ラムゼーの研究室に液体空気や液体アルゴンを供給した(当時は、まだ連続して蒸留分離を行う手順ができておらず、一旦、空気を液化し、何度も手作業で濃縮操作を繰り返して僅かな量が製造された)。
  ラムゼーは、ハンプソンが作った液体試料の中から、ネオン、クリプトン、キセノンといった新元素を分離し、続けざまに新元素を発見した。アルゴンに始まる希ガスの発見には、4人目の「ウィリアム」が関わっている。
 確かにウィリアムというのは英国に多い男子の名前であるが、希ガス発見の歴史をみると偶然にもこの名前が多い。ウィリアム・プラウト(医師)から始まり、ジョン・ウィリアム・ストラット(物理学者)、ウィリアム・ラムゼー(化学者)、ウィリアム・ハンプソン(技術者)と続き、希ガスであるネオンから初めて安定同位体を発見したJJトムソンの助手フランシス・ウィリアム・アストンがプラウトの仮説の謎を解いて完結する。(残念ながら、ジョゼフ・ジョン・トムソンには、ウィリアムの名前がつかない)
 空気の液化の成功は、その他の希ガスの発見へとつながり、同位体の発見などの科学の発展に寄与したが、一方では、酸素の製造が高温のブリン・プロセスから低温蒸留分離プロセスに変わったため、工業規模での酸素製造が可能となり、さらに酸素と同時に窒素とアルゴンを製造できる深冷空気分離装置の開発へと進んでいった。

5人のウィリアム、希ガスと同位体の発見

ウィリアム・プラウト
William Prout

イングランド、17851850
医師、化学者
胃液を蒸留分離して塩酸が含まれることを発見
栄養素を炭水化物、脂肪、タンパク質に分類することを提唱
全ての元素が水素原子の整数倍になっているというプラウトの仮説を提唱したが、例外が多く発見された。
ジョン・ウィリアム・ストラット
John William Strutt
イングランド、1842〜1919
物理学者、第3代レイリー男爵
プラウトの仮説の検証からアルゴンを発見
古典物理学の大家
1904年ノーベル物理学賞「重要な気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」
ウィリアム・ラムゼー
William Ramsay
スコットランド、18521916
化学者
アルゴン、ネオン、クリプトン、キセノンを発見
地球上でヘリウムを発見
1904年ノーベル化学賞「空気中の希ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」
ウィリアム・ハンプソン
William Hampson
イングランド、18541926
弁護士、技術者(独学)
ハンプソン・プロセスを発明し液体空気の製造に成功。
ブリン兄弟の酸素会社
BOCのコンサルタントとなりラムゼー教授に協力。希ガスの発見に貢献。
酸素の製造は、それまでブリン・プロセスによって行われていたが、空気の液化の成功により蒸留分離(深冷分離)法が実用化され、産業ガスの大量生産が可能になっていった。
フランシス・ウィリアム・アストン
Francis William Aston
イングランド、1877〜1945

物理学者
 電子を発見しネオンの安定同位体を発見した
JJトムソンの助手。
元素は異なる同位体の混合物であることを発見した。
一時期忘れられていたプラウトの仮説は、アストンの研究によって復活し、プラウトの仮説が塩素で成立しなかった謎が明らかにされた。
 1920年にアーネスト・ラザフォードによって発見された粒子は、プラウトの仮説にある "protyle"(全ての元素の源)から「proton プロトン(陽子)」と名付けられた。
 
陽子は、周期表の原子番号を決める粒子となり、一時は素粒子(それ以上分割できない基本粒子)だと考えられたこともある。
1922年ノーベル化学賞「非放射性元素における同位体の発見と質量分析器の開発」

希ガスの発見に貢献した人々。プラウトの仮説に始まり、希ガスの発見、安定同位体の発見へと続き、元素の周期表、プラウトの仮説の謎が明らかになった。物質の研究が大きく進展した。
ハンプソンが考案した空気の液化プロセス(ハンプソン・プロセス)。
供給した空気を圧縮した時の圧縮熱が系外に取り出されるが、この熱に応じた分だけしか、液体空気として取り出すことができないため、液化の効率は非常に悪い。しかし膨張弁によるジュール=トムソン効果だけで低温状態を発生させるという非常にシンプルな仕組みで空気の液化が可能となっている。ハンプソンは、BOC社の設備を夜間に動かし、何日もかけて液体空気を少量作ったようであり、それをラムゼーの研究室に供給、次々に新元素が発見された。
このプロセスは、アルゴンが発見されたのと同じ年、1895年にハンプソンが特許を取得、少し遅れてカール・フォン・リンデ(ドイツ)が同じ特許を出願している。独立して研究が行われており、ハンプソン・リンデプロセスとも呼ばれる。