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第31回 実在気体の科学(3)状態方程式
 2017/12/01

(1)臨界点の発見
 17世紀にはじまる理想気体の研究と原子・分子の研究から、目には見えない気体や小さな粒子の研究が進んだが、ファラデーによる気体の液化が行われ、ジュールとトムソンによってJT効果が発見されるなど、実際の気体は理想気体とは全く異なる挙動を示すことが明らかになってきた。
  理想気体の法則を超える新たな実在気体の科学が必要となってきた。またJT膨張によって様々な気体の冷却や液化が進んでも、どうしても液化しない気体も多く残り、低温にし圧力を上げるだけでは気体を液化することができなくなってきていた。
 
 ジュールとW.トムソンによるJT効果の発見から約10年後、トーマス・アンドリューズ(1813〜1885年、アイルランド)が、二酸化炭素の研究から気体の「臨界点」を発見した(1869年)。
  これにより、臨界温度よりも高い温度の気体は、圧力をいくら上げても液化しないことが判明、気体を液化するには、予め臨界温度よりも温度を低くしておかなければならないことが分かった。
    純物質の相図を示す。横軸は温度、縦軸は圧力である。
  A点の蒸気は加圧すると液化するが、臨界温度よりも温度が高いB点の過熱蒸気は圧力をいくらあげても液化しない。臨界点の発見は、気体の液化プロセスの研究において非常に重要な発見となった。臨界点の存在は、ある特定の気体が液化できないことを示しているのではなく、液化プロセスの手順によっては気体の液化ができないことを示しており、全ての気体は液化できることが分かっている。
(2)ファン・デル・ワールス(Johannes Diderik van der Waals)
   アンドリューズの臨界点の発見によって、実在する気体分子や液体分子がどのようなものか、その挙動や性質を正しく理解する必要が生じた。理想気体は「分子は大きさがない」「分子と分子の間には力が働かない」というモデルであり、実際の物質(気体と液体)を表すモデルが必要である。
   ヨハネス・ファン・デル・ワールス(1837〜 1923年、オランダ)は、アンドリューズの実験を理論化し、気体と液体の両方を含む実在気体の状態を表わす「ファンデルワールスの状態方程式」を導いた(1873年)。
 
  臨界点を発見したアンドリューズは、大学の化学の教授・副学長であり、王立協会のフェローであるが、ファン・デル・ワールスは、著名な研究者ではなかった。彼は、主に独学によって科学を習得したが、欧州の古典語学ができなかったため、大学には入学できず、地方の中学校の教員・校長となっていた。その後、大学入学資格の法律が変わり、ファン・デル・ワールスは、オランダ・ライデン大学への入学が許され、そこで、学位取得のためにオランダ語で書いた論文が『気体と液体の連続性に関する論文』である。
    実在気体の状態方程式を記述したファン・デル・ワールスの博士論文は絶賛され、ファン・デル・ワールスは3年後にアムステルダム大学の物理学の教授に任命され、その後、混合気体や表面張力の研究を続け、大きな功績を残した。
    ノーベル賞は、1901年に始まったため、それ以前の19世紀末の科学の発見・発明は、対象とならず、大きな発展を遂げた熱力学の業績に対しても、ノーベル物理学賞やノーベル化学賞などが授与されることはなかった。しかし、ファンデルワールスの状態方程式が分子科学に与えた影響は非常に大きく、学位論文の提出から40年近くもたってノーベル物理学賞が授与された(1910年、オランダ人として3人目)。
  ファン・デル・ワールスがノーベル賞を受賞しているため、その状態方程式が20世紀の成果と思われがちであるが、実際は、19世紀中の成果である。
    なお、分子間力や分子の大きさから状態方程式を導いたファン・デル・ワールスが1910年のノーベル物理学賞、核物理の父であり原子の崩壊を発見したアーネスト・ラザフォードが1908年のノーベル化学賞である。現在の感覚では、分子→化学、原子核→物理であるが、当時のノーベル賞の物理と化学の基準は、今とは異なるようである。
 
  オランダ人である彼の名前は、「ヨハネズ・ディーデリク・ファン・デア・ヴァールス」と読むべきなのかも知れないが、日本では「ファン・デル・ワールス」と書かれるのが普通である。ドイツ語のVolks Wagenが、日本では、フォルクス・ヴァーグン(ドイツ語)でもヴォルクス・ワーゲン(英語)でもなく、独英折衷のフォルクス・ワーゲンと読まれるように、Vをドイツ語式、Wを英語式に発音することがよくある。カタカナ表記は、ファン・デル・ヴァールスでもヴァン・デア・ワールズでもなくファン・デル・ワールスである。
 なお、ファン・デル・ワールスの名前を冠する用語の方は、「ファンデルワールス 力(りょく)」、「ファンデルワールス結合」、「ファンデルワールス結晶」、「ファンデルワールス半径」、「ファンデルワールスの状態方程式」など、名前のスペースの部分にドットを書かないのが普通である。
   臨界点やJT効果の発見によって、実際の気体は理想気体ではなく、液化が可能な実在気体であることが分かってきた。しかし、それまでの科学(物理・化学)が明らかにしてきた「理想気体」は、液体を記述していないため、ガスの液化を説明することも定式化することもできなかった。
 理想気体の状態方程式は、ボイルの法則とシャルルの法則を合わせて、pV=nRT と示されたが、ファン・デル・ワールスは、実在気体を記述するファンデルワールスの状態方程式を、次のように表わした。
       
  ここで、pは圧力、Vは容積、Vmはモル容積、Tは温度、abはパラメータである。
   図にファンデルワールスの状態方程式の等温線を示す。横軸は体積、縦軸は圧力、温度一定の条件でグラフを示しており低温の時と高温の時ではグラフの形が大きく異なっている。
  温度が高いときは、理想気体に近い曲線(双曲線)となるが、図中の垂直の漸近線は、体積ゼロにはなっていない。漸近線の値は、ファン・デル・ワールスが考えた分子の排除体積に関するパラメータbに相当する。

   理想気体では分子の大きさを考慮しないため、圧力が無限大になると体積はゼロになるが、実在気体では分子に大きさがあるため、圧力を無限大に近付けてもファンデルワールスの状態方程式に示すパラメータよりも小さな体積をとることができない。
  温度が低くなると理想気体からは大きく異なる曲線となる。
   図に室温(300K)における実在気体の理想気体からのずれを示す。縦軸は、1モルで規格化しているので、PV/RT=1.0の水平の線が理想気体を表す。
 実在気体を理想気体とみなすことができるのは、温度が高く(液化点よりもかなり高い)、圧力がかなり低い(ほぼ大気圧以下)場合に限られる。この図から「高圧ガス」は理想気体から大きく外れていることが分かる。
  また、この図より、実在気体の理想気体からのずれはガス分子の種類によって大きく異なっていることも分かる。
   ファン・デル・ワールスが定式化した実在気体の状態方程式は、わずか2つのパラメータによる近似式である。したがって、複雑な実在気体の振る舞いの正確な表現には限界があると思われる。しかし、理想気体のように、気体分子の運動エネルギーのみを議論するのではなく、分子間の相互作用を考慮して理想気体からのずれを示した初めての実在気体の状態方程式として非常に高く評価された。
  また、状態方程式は、液体と気体を区別することなく取り扱うことができ、ジュール=トムソン効果や気体の液化を説明することができた。気体と液体は工学的には異なる性質を持つ流体であるが、科学的にみるとほぼ同じ性質を持つ物質の状態であり、ファンデルワールスが示した実在気体の状態方程式は実在液体の状態方程式でもある。
 
  前述のように無名の研究者であったファン・デル・ワールスが提唱した実在気体の状態方程式は、科学の世界に極めて大きなインパクトを与えた。論文は主にラテン語あるいはボイル以降は英語で書かれることが多かった当時の科学界において、オランダ語で書かれたファン・デル・ワールスの論文を早く勉強したいと考える研究者の間ではオランダ語がブームになっとさえ言われる。
  分子には大きさがあり、分子と分子の間には力(相互作用)が働くという概念は、様々な実験結果や観測結果をうまく説明することができた。当時はまだ分子そのものが発見されていない時代であったが、化学や熱力学の研究は、大きさを持った分子が実在することを前提に進められていった。
 ガスは目に見えないが、小さな粒子、分子の存在が信じられるようになっていった。
ファン・デル・ワールスが提出した学位論文 ”Over de continuiteit van den gas- en vloeistoftoestand”の表紙。オランダ・ライデン大学のHPから閲覧が可能である。
   
ファン・デル・ワールス以降の状態方程式
   ファン・デル・ワールス以降も様々な実在気体の状態方程式の研究が行われている。ファン・デル・ワールスが提唱した分子間に働く力は、詳細に調べられ、クーロン力、配向力(電荷と双極子、双極子と双極子)、誘起力(電荷と誘起双極子、双極子と誘起双極子)、分散力(誘起双極子間、希ガスの液化など)、電荷移動力(分子間の電子の移動)、交換斥力の6つの力で表されるようになった。
   ガスや液体の物性は、工学系の様々な分野において極めて重要な基礎技術であるため、状態方程式は理にかなっているというだけではなく、より実用的で、用途に応じた高い精度を持つものが必要とされる。特に、気体や液体の物性の推算値が重要となる化学工学の分野では、様々な取り組みが行われている。
  たとえば、パラメータa,b は、気体ごとに異なる値が与えられるが、温度、圧力、容積のスケールを変え、これらを対臨界圧力、対臨界容積、対臨界温度で表わすとファンデルワールスの状態方程式は、気体の種類によらず、同じ方程式で記述できることが分かっている。これは対応状態原理(法則)と呼ばれ、精度としては十分とは言えないが、新規物質でまだ詳細な物性が調べられていない場合でも、臨界定数が得られれば、状態方程式を導くことができる便利な方法である。