サイト・トップ
ガスの科学ブログ
ガスの科学目次
 
前の記事

11

次の記事
 
前へ
目次順
次へ
ガスの科学トップへ
11回  シャルルの法則(3)気球と空気の研究
2017/10/19
 
修正 10/25

  今から350年前、ボイルとフックは、実験室で空気ポンプを使った実験を行ってボイルの法則を発見したが、210年前のシャルルとゲイ=リュサックは、実験室から外に出て、上空の空気に興味を抱き、水素気球や熱気球を膨らませて、数々の発見をした。
  高度が高くなると気圧が下がり、空気が減り空気が薄くなるが、その組成は変わらず、酸素は濃くも薄くもならないということが
200年前の大冒険・実験によって明らかとなった。
 「真空の研究」→「空気の研究」→「気体の研究」→「気球の開発と冒険」→「大気の一部である空気の構造」と科学者たちの探求がつながって、ガスの科学、物質の研究が進んだ。
 17世紀の科学革命は、ボイル、フック、ニュートンなどイングランドやアイルランドなど英国の科学者が中心であった。
 
18世紀から19世紀にかけて気体の研究を行った二人、ジャック・シャルルとゲイ=リュサックは、フランスの気球開発者である。シャルルはガス気球のパイオニア、ゲイ=リュサックは、熱気球のパイオニアである。有人気球の開発とそれを利用した研究が知られている。

ガス気球 (Charliere 、Hydrogen balloon)シャルルは、発見されて間もない「水素」を利用してガス気球を作った
   シャルルは、ガス気球(浮揚ガスは主に水素)を設計・製作し、研究のために自ら搭乗した。
 その時すでに、水素が可燃性ガスであることが分かっており、ガス気球への水素の充填作業は困難を極めた。シャルルは、気球に充填する水素を化学反応によって発生させたが、鉄と硫酸から水素が作られる反応は発熱反応であるため、発生直後の水素の温度は高く、これを充填した気球は一旦は膨らむが、温度の低下とともにしぼむということが繰り返された。当初は、発生した水素の冷却装置がなかったため温度の高い水素をそのまま充填すると、温度の低下とともに気球は縮んでしまい、充填は簡単ではなかった。
 現在では、気体の充填効率を上げるために、充填前に気体を冷やす装置、プレ・クーラーやインター・クーラーを利用するということが考えられるが、その時はまだ、気体の容積と温度の関係は法則としては理解されていなかった。水素の温度が下がると気球が縮むということは、まさにシャルルの法則から説明ができる現象である。
水素を利用したガス気球シャルリエールで空気の研究をしたシャルル
   水素は、17年前に、ヘンリー・キャヴェンディッシュ(17311810年、イングランド)によって発見されており(1766年)、キャヴェンディッシュは金属と塩酸や硝酸を用いて発生させる方法を示した。シャルルも硫酸と鉄くずを用いて水素を発生させ、鉛管を用いて気球に水素を充填していた。水素は、空気よりも10分の1ほどの重さしかないことが見出されており、シャルルはこの軽い気体で気球を浮揚させることを思いついた。
   キャヴェンディッシュは、18世紀を代表する化学者のひとりであり、様々な化学的発見をしている。水素の発見、水素と酸素からの水の合成(ただしフロギストン説に基づいているため現在の化学の解釈とは異なる)などがよく知られる。
 
17世紀の科学者の中の間では多くの発見や発明の先取権争いが生じたが、キャヴェンディッシュは自らの発見や研究の多くを公表しなかった。純粋に科学の研究に没頭し、自らの名前のついた法則や発明などには興味がなかったと言われる。後に判明した未公開の研究の中には、クーロンの法則、オームの法則、空気に含まれる酸素と窒素以外の元素(アルゴン)など、多くの大発見がある。19世紀末にアルゴンを発見したレイリーも古いキャヴェンディッシュの論文の中から新元素を発掘している。
 科学の世界では発見や発明の「先取権」争いがあり、自らの名前を法則につけるということが多い。しかし、キャヴェンディッシュのように科学の探求には熱心でも、それが世の中に認められるということにほとんど興味を示さない科学者もいる。シャルルも自らの発見を発表することもなく、かなり後になって、ゲイ=リュサックも気体の温度と容積の関係を定式化している。さらにゲイ=リュサックはこの法則に自らの名前を付けずに「シャルルの法則」と呼んだ。
 そしてゲイ=リュサックこそが本当の科学的「温度」の発明者であるにも関わらず、その温度には特に彼の名前は付けられていない。他の温度の尺度には、ファーレンハイト、セルシウス、ニュートン、ランキンなどの名前がつくが、ゲイ=リュサックがシャルルの法則の中で示した温度は、後に「絶対温度」と呼ばれるようになり、絶対温度のひとつである熱力学温度の単位には「ケルビン」が用いられている。

なお、19世紀になってキャヴェンディッシュを記念して設立された英国のキャヴェンディッシュ研究所(ケンブリッジ大学)は、世界的な物理学の研究所となり、数多くの著名な研究者を輩出している。ガスに関わる人物としては、レイリー卿、ラザフォード、カピッツァなどの研究者が知られている。近年は、物理学だけではなく、化学やたんぱく質の研究、DNAの構造の発見など分子生物学などの貢献でも知られるようになった。
   シャルルのもとで、アン=ジャン・ロベール(Anne-Jean Robert 17581820年、フランス)とニコラ=ルイ・ロベール(Nicolas-Louis Robert 17601820年)のロベール兄弟が、水素を浮揚ガスとするガス気球を製作、ガス気球による初の有人飛行は、熱気球による人類初の有人飛行(後述)からわずか10日後に行われた。
 水素気球のために、絹の気嚢にゴムを含浸させた軽量で気密性の高い機体が製作され、気球を用いた研究のために、気圧計や温度計が開発され、気象観測が行われた。ガス気球は開発を指揮したシャルルの名前から「シャルリエール」と呼ばれる。
 当時の熱気球は飛行のたびに火炎で球皮が痛みむのに対して、ガス気球は繰り返し使用が可能であっためガス気球の方が優勢となっていった。ガス気球の浮揚ガスには、水素や石炭ガスのような可燃性ガスが用いられた。
   モンゴルフィエ兄弟は、数々の実験を行ったが、上空で酸素が薄くなっていないことを確かめるために動物を気球に乗せて飛ばし安全を確認する動物実験が行われた。
 気球に乗せる動物を選ぶとき、アヒルや鳩では、もともと空を飛ぶため、空気の組成の影響を受けないかも知れないと思われ、空を飛ばないニワトリや羊のような地上の動物が選ばれた。後の研究から、鳥類には気嚢システムという独自の肺呼吸システムがあり、哺乳類では生存が不可能な希薄な空気でも呼吸が可能で、アルプス山脈を越える鳥もいることが分かっており、確かに空を飛ぶ鳥を使って実験で安全が確認できても、同じ環境で人間が安全とは言えない。
 実験動物による気球の飛行実験によって、動物が無事に帰還することが確認されて、有人飛行がおこなわれた。無人飛行による性能確認、動物の飛行による安全性確認、続いて有人飛行が決行されるという、この時に彼らがとった手順は、その後の宇宙開発でも全く同様である。

熱気球(Montgolfiere、英 hot air balloon) ゲイリュサックが発見した上空の空気
   実用的な熱気球を発明したのは、ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエ(17401810年、フランス)とジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエ(17451799年、フランス)のモンゴルフィエ兄弟である。
 ジョゼフは、物が燃えた時の煙の中には何かものを浮かばせる成分が含まれていると考え、絹の織物でそれを囲うことによって浮き上がる気球を発明した(1777年)。
 ラボアジェが「燃焼とは物質と気体が結合すること」と説明したのは
1777年。この時、燃焼という化学反応は、まだよく理解されておらず、暖められた空気が周囲の空気よりも軽くなるということもまだ分かっていない。モンゴルフィエ兄弟は、何かが燃えると浮力を生む煙が発生すると考え、これを集めて利用する気球を製作した。現在の科学では温度が上昇した空気の密度が低下し、周囲の空気との密度の違いによって浮力が生じる、と理解できるが当時は、ものが燃えた時の煙が浮力を生む何かだと思われた。本当の理由はよく分かっていなかったが、とにかくそれで有人飛行が可能だと考えて熱気球が製作された。
 
モンゴルフィエ兄弟
熱気球・モンゴルフィエを用いて空気の研究をしたゲイ=リュサック
   空気が薄いことを酸素が薄いと言い間違えることは、簡単な間違いではない。空気が薄いことと酸素が薄いことは大きな違いがあり、特に報道にたずさわる人たちにこの間違いが多いことが気になる。「高地に行くと酸素が薄い」ということをテレビなどで発言する人が後を絶たない。密度が小さいという意味で「酸素が薄い」と表現する人もいるようであるが、中には「高地では酸素濃度が低い」という大ウソを放送する人もいる。
  標高が高くなると、空気の圧力は低下するので空気は薄くなるが、酸素の濃度は地上とは変わらない。この知見は、空気を研究した先人たちが、命懸けの観測をして得た結果である。
   1783年、高さ22m、直径15mほどの熱気球が製作され、ついに人類史上初の有人飛行が行われた。搭乗したのは製作者ではなくフランスの軍人二人である。当初は罪人を搭乗させるという案も出されたが、人類初飛行の名誉のために軍人が選ばれた。まさしく宇宙飛行と同じようなものである。 現在のような耐熱性の高い素材で球皮(エンベロープ)が作られ、LPGを燃料とする安全な熱気球が開発されるのは1960年代になってからである。当時の熱気球は、布と魚網を用い、薪や石炭を燃料とする非常に危険な乗り物であった。熱気球は、開発した兄弟の名前をとって、「モンゴルフィエール」と呼ばれる。
 

 ゲイ=リュサックは、熱気球を製作、ジャン=バティスト・ビオ(17741862年、フランス)と5000mの高空まで昇り、上空の空気をサンプリングして温度や湿度の観測を行った(1804年)。
  ビオは、磁場に関するビオ・サバールの法則で知られるが、科学の分野で様々な発見をしている。有機物の旋光から「光学異性体」の存在を提唱し、後にビオの指導を受けたパスツールがこれを実証した。「隕石宇宙起源説」を提唱し、隕石が地球外から来たものであることをつきとめ、太陽系や地球の成り立ちを研究する科学の礎となった。ビオは、空気の研究のためにゲイ=リュサックと気球の冒険に出た。また、アレクサンダー・フォン・フンボルト(
17691859年、プロイセン王国)も、ゲイ=リュサックとともに、空気の研究を行い、次の二つの重要な発見をした(1805年)。

 
「高度が高くなると気圧が低下する」
「上空でも空気の組成は変わらない」(酸素は濃くも薄くもならない)
   今では、ごく当たり前のことが、210年前の科学の大冒険によって明らかにされたのである。
  フンボルトは、南米アマゾンの探検や著書「コスモス」が知られる近代地理学の祖である。数々の大冒険とともに、火山、気象、暴風雨、地磁気、生物学などの分野においてその業績が知られ、ドイツでは最も名前が知られる学者・探検家である。日本でも、フンボルト海流やフンボルトペンギンなど、探検家フンボルトに因む名前がよく知られている。現在、ドイツのノーベル財団とも呼ばれる「アレクサンダー・フォン・フンボルト財団」から優れた研究者に「フンボルト賞」が贈られている。
  当時は、パスカルが行った、山の麓と頂で行われた「トリチェリの実験」から、高度によって気圧が異なることは分かっていた。しかし、もっと上空には、空気があるのか、もし空気があったとしても、そこに含まれる酸素の濃度はどうなっているのか、フンボルトとゲイ=リュサックが発見するまで、誰も分かっていない。
   まだアルゴンは、発見されていないので、空気は窒素と酸素という二つの元素からなると理解されていたが、その空気には地上と同じ割合で酸素が含まれているかどうかは、誰も確認したことがないのである。既に真空ポンプや脱酸素空気の実験によって、空気の中に含まれる酸素が薄ければ、動物は生きていけないことが分かっていたので、気球で空に昇るということは、大変危険な科学実験であった。

 

 気球は、空気の研究、物質の研究に重要な役割を果たし、科学観測、軍事、商用に利用されていった。飛行船は、19世紀半ばに実用化され、19世紀末からは硬式飛行船が商用、軍用の輸送に広まった。多くの飛行船が浮揚気体に水素を用いていたが、ヒンデンブルク号事故(米ニュージャージー州、1933年)以降、衰退し、航空機の発達に伴って輸送用の乗り物としては利用されなくなっていった。世界大戦では、航空機の侵入を妨害するために数多くの気球(阻塞気球、空に浮かぶ機雷のような役割)が製造され、安全性よりも、むしろ引火しやすいようにと水素ガスが使用された。

 

 現在の気球の主な利用方法は、レジャー(熱気球競技)、アドバルーン(ガス気球)、浮揚ガスにヘリウムを使用する小型の飛行船(広告用)などである。
 高層大気の観測・研究のために、水素やヘリウムが充填された高高度気球(
High-altitude balloon)が利用されている。高高度気球の到達最高高度の気圧は、地上の100分の1から1000分の1しかないため、極めて特殊な構成となっており、以前の最高記録51.8kmを達成したNASAの気球(1972年)は容積150m3(一般的な熱気球の容積は2000m3程度)、球として計算すると直径142m
 
JAXAが高度53.7kmの世界記録を更新した高高度気球(2013年)は、容積8m3、直径60mと非常に大きな風船である。また気嚢の材料は特殊で、JAXAのものでは厚さは2.8μmしかない。一回の実験で、放球から破壊落下までの飛行時間は数時間、成層圏におけるオゾン層の観測や二酸化窒素の測定などが行われている。
 高高度気球は気象観測、天体観測、低重力研究などに利用され、欧米では、高高度からのアースウォッチング(ガス気球による高高度からの地球撮影)がホビーとして存在する。日本の国内は航空法など様々な規制があり、誰でも簡単に風船を飛ばすという訳にはいかない。