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第4回  ボイルの法則(3)ボイルの法則の発見(1662年)
2017/10/2
 
修正 10/3、10/9

 

 真空の研究は、空気の研究へとつながり、中世の錬金術は近代の化学へと変わっていった。
 ゲーリケの真空ポンプに興味を持ったボイルは、助手のロバート・フック(16351703年、イングランド)とともに空気ポンプを製作することにした。容器の中の空気を抜く真空ポンプは、すなわち空気を汲み出すポンプであり、彼らは、空気ポンプを用いた空気の研究を始めた(1657年)。
 ボイルは、水も空気も自由に形を変えることができるが、両者の大きな違いは、空気が「弾力性」を持つことであると主張、ポンプによって「圧力」をかけると空気が縮むことを実験によって確かめ、ボイルの法則を発見した(1662年)。まだ「気体の圧力」という概念はなく、ボイルはこれを空気が持つ弾力という性質だと考えた。
 ボイルは、空気の圧縮と膨張の実験を行い、空気の弾力度(圧力)と容積の関係を詳細に求め、「科学的」手法による検証を行ってボイルの法則を導いた。
 しかし、新発見の法則には、反論がつきものであり、当初、真空反対論者、すなわち真空嫌悪説を信じる学者たちは、空気に弾力性があることや空気に重さがあることを認めなかった。当時は、科学が未発達であり、実験は誤りが多く信用されず、観念的思考が優先されるというのが普通である。ボイルが行った空気ポンプを用いた実験から現象を考察・説明するという手法は、まだ主流ではなかった。現在では、科学的に証明されるとそれは真実であるとされるが、当時は、まだ科学的(化学的)な方法論そのものが信用されていなかった。

   現在、自然界の法則や現象を記述する最も標準的な手法は、実験結果を定量的、数学的に記述するという方法である。しかし、当時は、自然界を記述する方法には、哲学的な言葉で表現する方法と、数式によって記述する方法があり、後者の方法は、ボイルより100年前に生まれた音楽家ヴィンチェンツォ・ガリレイ(15201591年、イタリア)が、音程と弦の研究の中で始めたものである。
  ヴィンチェンツォが広めたこの数式によって記述するという方法は、息子のガリレオ・ガリレイに引き継がれ、ガリレオに学んだボイルも、実験から得られる結果を数式で表現することを考え、ボイルの法則として定式化した。
  現在では、自然界の法則を哲学的な言葉や観念で表わすことの方が少なく、多くの法則が数式で表現されるようになっているが、ボイルの法則は、数式で表わされた最も有名な物理法則のひとつである。
      
    ボイルが空気の「弾力度」としたものは、現在、われわれが空気の「圧力」と呼んでいるものである。現在は、非常に簡単に見えるこの式も、圧力というものが知られていない当時ではその内容を理解することは簡単ではない。
  後の研究から、空気の圧力は、空気の分子が容器の壁に衝突する結果として現われと考えることができ、その力は外から加えられた力と釣り合うと考えて、空気の圧力が定義できされ空気の圧力を測ることができるようになった。しかし、当時は、空気の分子も空気の圧力も、その概念はまだない。見えない空気の分子が飛び回っているなどということは、空想や妄想でしかないのである。
   ボイルは、空気には、金属のばねが持つような「弾力」という性質があると考えた。
 また、当初は、空気ポンプで圧縮した大気圧以上の空気(正圧の空気)と真空ポンプで引いた時の空気(負圧の空気)は別の物質であると考えられていたが、実験によって、いずれの場合もボイルの法則が適用できることが分かり、「正圧の空気」も「負圧の空気」も同じ空気(物質)であると考えられるようになった。
 現在、われわれは、圧縮された空気も、大気圧そのままの空気も、真空ポンプで引いた残りの減圧空気も、圧力が異なるだけのいずれも同じ空気であることをよく知っている。こういった今では当たり前のようなことが、空気の正体が分からない時代、これも新たな発見であった。
 注射器、真空調理器、ペットボトルなどを使った簡単な実験で、空気が確かに存在することや、ボイルの法則の主張を理解することができる。しかし、ボイルがこの法則を発見した時、時代は、はっきりとした「科学」が現われる前、スコラ哲学や錬金術の時代であり、見えない空気は非常に不思議な存在である。現在では常識とされている空気の様々な性質も、ひとつずつ科学的な方法によって確認されていった。
   ガスの科学は、その後、18世紀に現れた学者達によって大きく発展したが、ボイルの活動期は17世紀である。新たな発見があると、それをきっかけにして、同じ分野で続けざまに新たな発見が行われることが多いが、ボイルの法則は、あまりにも時代に先駆けていたため、時代はすぐには追いついてこなかった。
 ボイルの法則が空気以外の他の気体にも適用されることが明らかにされたのは100年も後のことである。ボイルが、すでに気付いていたと思われる空気の「温度」と容積の関係が明らかになるのは、140年後、ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックが「絶対温度」の概念を提唱して「シャルルの法則」として定式化した時である。ボイルは「圧力」を発明したが、ゲイ=リュサックが「温度」を発明するのは1世紀半も後のことである。
 

    なお、 ガリレオ・ガリレイの時代には「寒暖」の尺度を表す温度計のようなものが作られており、病弱なボイルも体調管理のために空気の寒暖を測る道具を使っていたとされている。しかし、この時、まだファーレンハイト度やセルシウス度のような温度目盛も作られてはいない。そして、温度が寒暖の尺度ではなく、ひとつの物理量、科学の概念として提唱されるのは、ゲイ=リュサックが示した「絶対温度」まで待たねばならなかった。しばしば温度の概念を表す時に用いられる「エネルギー」という概念も、それが現れるのはさらにずっと後のことである。
  そして、科学的な温度に対して、寒暖の「尺度」ではなく「ケルビン」という物理量の「単位」が正式に与えられるのは、
20世紀も中盤になってからである。当然のことながら、ボイルの法則に対して「気体の温度が一定の時」「等温過程」などの注釈がつくのは、後世の人たちが分かりやすくするために書いたものであって、ボイルの時代には「(科学的)温度」はまだない。
   現在、「ボイルの法則」と呼ばれている上記の法則が発表されたのは、前述のように1662年である。ボイルとフックは真空ポンプを製作し、実験を行い、1660年に「空気の弾性とその効果についての自然学的・機械学的新実験」を出版した。この本に書かれていることに対してアリストテレス主義の学者から反論があり、ボイルは二年後の1662年に本書の第二版を出版して、これに反論、「空気の弾性と重さの教説の弁護」と題した付録の部分が、後に「ボイルの法則」と呼ばれる。
   一般的には、ボイルは「初めての化学者」と呼ばれる。しかし、当時、古代から伝わる錬金術と決別して、新たに自然哲学(科学)を探求しようとした人は、何もボイルだけではないようである。同じような実験を試みて、ボイルの法則と同様の法則にたどり着いただろうと思われる人は他にもいるらしい。発見の経緯は非常に複雑で、何といっても350年も前のことである。
  ボイルの研究者によるとボイルの法則の発見者候補は
3人からもいるらしい(中島秀人著「ロバート・フック ニュートンに消された男」)。エドム・マリオット(1620年〜1684年)、Rタウンリー(1629年〜1707年)、ヘンリー・パワー(1623年〜1668年)、そして、ロバート・フックとロバート・ボイルである。