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第1回  理想気体「ボイル・シャルルの法則」
 2017/09/25
 
修正 2017/09/29,/9/30,10/4,11/18

 ガスの科学は、ロバート・ボイルによるボイルの法則の発見から始まった。
これは、空気の研究というだけではなく、化学が中世の錬金術が初めて分離された歴史に残る出来事であった。
 17世紀に魔法の世界と科学の世界ははっきりと分けられるようになった。 空気の研究は、すなわちガスの研究であり、物質の研究の始まりである。 ガス屋にとってガス(気体)とは商売道具であると同時に物質そのものであり、全てのガスは同じ物質のまま液体にもなるので、いわゆる「理想気体」と呼ばれるものは存在しない。
 混合物である空気やそれを分離して製造される酸素や窒素の「液体」、すなわち液体空気や液体窒素の存在を否定すると産業そのものが成り立たないので、ガス屋(いわゆるタウンガスのような燃料ガスではない普通のガスの商売、このことはまたの機会に書く)にとって「理想気体」というものは、ありえない概念である。
 言葉からも分かるように、理想気体は理想的な気体の性質を持つ「架空のもの」であって、けっして液体の性質を持たないから、たとえば空気や窒素やヘリウムのような気体はけっして液体にならない(液化しない)というのが理想気体である。全ての気体は液化できるので、理想気体という考えは、事実に反するということはすぐにわかる。実在気体の挙動は理想気体から大きく離れており、とても無視することはできないのである。
 しかし、科学の始まりを考え、ガスの科学を勉強する時に、この理想気体の概念と理想気体の法則という大発見を抜きに話を始めることはできない。実在する気体は、非常に複雑なガス分子の振る舞いを記述しなければならない。しかし、複雑な実在気体を正確に記述することは簡単ではないため、実在気体の記述は、それが理想気体からどのくらいずれているか、といった手法を用いるのがよいようである。
 ガスの科学の基本は、やはり理想気体を理解することから始まる。

「ボイル・シャルルの法則」という名前の法則はない。
ボイルの法則とシャルルの法則は全く別の法則である。
   日本では、理想気体の「状態方程式」を教える時に、しばしば、この言葉「ボイル=シャルルの法則」が使われており、Wikipediaの日本語版にも、「ボイル=シャルルの法則」というページがある。しかし、実際には「ボイル・シャルルの法則」という名前の法則はない。
  正しくは、「ボイルの法則」と「シャルルの法則」という理想気体の性質を表す二つの重要な法則がよく知られており、中学校や高校の理科でも教える。 しかし、この二つの法則は全く別の法則であり、理想気体の法則であるという点を除いて、何の関係もないので、ひとまとめにして「ボイル・シャルルの法則」と呼ぶことはできない。
   ボイルの法則は、17世紀に発見され、シャルルの法則は19世紀初頭にゲイ・リュサックによって発表されており、二つの法則には140年もの時間の隔たりがあり、内容もつながっていない。
 日本語版の「ボイル・シャルルの法則」に相当する、英語版のWikipediaは、"combined gas lawWとなっており、ボイルの法則、シャルルルの法則(ゲイリュサックの法則)、ドルトンの法則などの理想気体に関する法則をまとめてひとつの数式で表したのが、「コンバインド・ガス・ロー」である。
 

  中学や高校の理科の時間にも、この二つの重要な法則の説明が行われるが、もし、ボイルの法則とシャルルの法則をまとめてひとつの数式にして「ボイル・シャルルの法則」として教えるようなことがあれば、二つの法則が全く別のものであることがきちんと理解されず、圧力と温度という非常に重要な「概念」が正確に伝わらない可能性がある。「ボイル・シャルルの法則」とひとつの言葉にまとめてしまうと、単なる式の暗記になってしまい、ガスの性質と実生活との関わりも正しく理解されないことになる。
 理想気体の法則を定式化したということでは、非常に重要なこれらの二つの法則の成果を非常に簡単にまとめると、ボイルはボイルの法則によって「気体の圧力の概念」を発明し、ゲイ・リュサックはシャルルの法則で「温度の概念」を発明したという点が、最も重要なことではないだろうか。

    ボイルの法則もシャルルの法則もそれぞれが、非常に重要なガスの法則であり、物質の科学の歴史にとっても非常に重要である。「科学史」には興味がない、結果しか興味がないという人でも、この二つの法則が、近代の物質の科学の始まりとなった重要な発見といういうことだけは知っておいた方がよいと思う。
  「圧力」と「温度」は、ガス(空気)を研究した偉大な先人達が発見した「
概念」である。
 

ロバート・ボイルが「ボイルの法則」を発見した、とされている。
   ボイルは「史上初の化学者」であるとされている。
 これは、この当時(17世紀)は、まだ学問としての科学や化学というものがなく、ヨーロッパの哲学を支配していたのは、スコラ哲学や錬金術であり、今われわれの常識となっている「科学的」考え方が、まだ主流になっていない時代であったことを意味している。古代から中世にかけて多くの数学者、哲学者、錬金術師などが知られているが、ボイルの前には「化学者」はいなかった。
 ボイルも当然のことながら最初から「化学者」であった訳でななく、錬金術師として仕事を進める中で、錬金術や医学の道具にしか過ぎなかった「化学」をひとつの学問にしていった最初の人物ということである。ボイルの前にもガリレオ・ガリレイのような中世の偉大な「万能人」たちがいて、数学、物質、力学などの研究が進められていたが、まだ、科学と魔法の境界ははっきりとはしておらず、とてもあいまいである。
 ボイルは、「科学的」、すなわち理論・観測・実験などを組み合わせた「科学的手法」に基づいて、観念や魔法の世界と現実の科学の世界をはっきりと分けた、最初の化学者である。
 この時代のことを勉強するのに、次の2つのテキストがとても役に立つと思う。

1)ひとつは、原光雄著「化学を築いた人々」中央公論社、である。
   ここには、先駆的化学者14人の評伝が記されている。
 原光雄先生は、1909年山梨県生まれ、京都帝大、川崎重工、大阪市立大学で研究を行った化学者であり、科学論・科学史研究者でもある。化学の専門家である原先生には、非常に大勢の化学の先駆者をご存知のはずであり、その中から、たった
14人に絞るということは、非常に大変なことなのだろうと想像する。その化学を築いた評伝に選ばれた14人の先頭が、ロバート・ボイル、すなわち最初の化学者である。
  初版は、1951年に雑誌「自然」に連載された「化学を築いた13名」に関する記事をもとに出版された1954年版であるが、これは入手できず、入手できたのは、もうひとり、酸素の発見者プリーストリーが追加され「14名の化学者」になった1973年の改訂版である。
    改訂時の著者あとがきには、「初版にはラヴォアジェの名前があるのに酸素を発見したプリーストリーの名前がなかったのは残念であった」と記されている。連載当初よりプリーストリーの記載を考えていたが、連載の制限から見送られ、22年ぶりの新訂で加えることができたとのことである。ガス屋にとって非常に重要な酸素の発見者プリーストリーが加えられた。
  「化学を築いた人々」は、17世紀のロバート・ボイルから始まり、ラムゼー、フィッシャーまで続くが、ボイルだけでなく、ここに記される化学者の中には多くの気体の研究者がいる。化学史において、空気や酸素の発見・研究は非常に重要な出来事であり、これは科学(物理学)でも同じである。17世紀以降の近代科学の歴史は、まさに気体の研究、分子の探索、物質の研究である。

2)もう一冊は、中島秀人著「ロバート・フック ニュートンに消された男」 朝日選書,1996年、副題は「巨人は何に敗北したのか」である。
   ロバート・フックはロバート・ボイルの弟子であり、史上初の物理学者(職業学者)である。17世紀の万能人とも呼ばれるフックは、数々の天才たちの中でも異常に記録が残っていない。よく知られるのは、ばねに関するフックの法則と細胞の発見のふたつの事柄である。
  ロバート・フックの消えた(消された)歴史を探索・調査した中島先生は、フックに関する学位論文やいくつかの研究論文を発表しているが、これを題材として一般人でも読める教養書として本書を出版、東工大助教授時代に大佛次郎賞を最年少で受賞した(1997年)。大佛次郎賞は、小説ではなくノンフィクションの歴史書などに与えられるものであるが、ここに書かれたフックの評伝は、事実は小説よりも奇なり、まるで物語のようである。
   この本を読むと、われわれ世代が学生時代に習った科学史はとても一面的であり、特にニュートンとフックの業績に関しては全くの間違いだったように思える。
  ガスの科学を知るには、ボイルの法則は外せない。そしてボイルの研究を知るにはロバートボイル、ロバート・フックの業績を知る必要がある。しかし、この本の表題にもあるように「ニュートンに消された男」の記録は、日本の教科書にはほとんど記述がない。アイザック・ニュートンを聖人・偉人と信じ続けていたいと願う人は、ここに書かれたフックのことを知らない方がよいのかも知れないが、ボイルの法則が生まれた時代を知るには、教科書には載っていない科学史も勉強した方がよさそうである。(中島秀人氏は、現在、東京工業大学大学院・社会理工学研究科教授、専門分野は科学技術社会(
STS)論、科学/技術史)

原光雄著「化学を築いた人々」が掲げる14名の化学者の一覧
人名のカッコ内の表記は、他の出版物などで比較的広く使われている表記、
表示は生誕年順、丸数字は掲載順

名前

出身国、生存年

主な業績・その他

@

ロバート・ボイル
Robert Boyle

アイルランド王国
1627〜1691

ボイルの法則を発見。「近代化学の父」

A

ジョゼフ・プリーストリー
Joseph Priestley

グレートブリテン王国・イングランド
1733〜1804

酸素の発見
神学者、聖職者

B

アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ
Antoine-Laurent de Lavoisier

フランス
1743〜1749

フロギストン説を覆した。
質量保存の法則を発見
酸素・水素・窒素の命名
「近代化学の父」

C

ジョン・ドールトン(ドルトン)
John Dalton

グレートブリテン王国・イングランド
1766〜1844

気体の法則。原子分子仮説
ドルトンの原子模型
物理学者、気象学者。色弱の発見
ジェームズ・プレスコット・ジュールは教え子

D

サー・ハンフリー・デーヴィ(デービー)
Sir Humphry Davy

グレートブリテン王国・イングランド
1778〜1829

6つの元素を発見(塩素、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、ホウ素、バリウム)
酸素は酸の素ではないことを発見
助手にファラデー

E

イェンス・ベルセリウス
Jons Jacob Berzelius

スウェーデン
1779〜1848

電気化学的二元論、元素記号の記法を提唱、原子量の精密測定

セレン、トリウム、セリウムを発見。医師

G

フリードリヒ・ヴェーラー
Friedrich Wohler

神聖ローマ帝国エッシャースハイム(ドイツ)
1800〜1882

ケイ素、ベリリウムの発見
アルミニウムの単離、尿素の合成
異性体の発見
「有機化学の父」

F

ユストゥス・フォン・リービッヒ
Justus Freiherr von Liebig

ヘッセン大公国ダルムシュタット(ドイツ)
1803〜1873

有機化学の確立。クロロホルム、アルデヒドなどの発見。植物の生育に関する窒素・リン酸・カリウムの三要素説。「農芸化学の父」。リービッヒ冷却器

H

アウグスト・ケクレ
Friedrich August Kekule von Stradonitz

ヘッセン大公国ダルムシュタット(ドイツ)
1829 〜1896

炭素の四価性仮説、炭素の鎖状結合仮説、六員環(ケクレ構造、亀の甲)を提唱、ベンゼン式、芳香族化合物体系化

 

I

ドミトリ・イヴァーノヴィチ・メンデレーエフ
Dmitrij Ivanovich Mendelejev

ロシア帝国
1834 〜1907

元素周期表を提唱
石油の無機起源説
絶対沸点説(後の臨界点)
流体抵抗と飛行船の航行

J

ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ
Jacobus Henricus van't Hoff

オランダ
1852〜1911

有機化学、立体化学、不斉炭素原子(キラル中心)説、反応速度論、浸透圧を表すファント・ホッフの式
最初のノーベル化学賞1901

L

ウィリアム・ラムジー(ラムゼー)
William Ramsay

大英帝国・スコットランド
1852〜1916

アルゴン、ヘリウム、クリプトン、ネオン、キセノンの発見。5元素を発見。
ノーベル化学賞1904

M

エミール・フィッシャー
Hermann Emil Fischer

オーストリア帝国ドイツ同盟(ドイツ)
1852〜1919

フィッシャーエステル合成反応
ノーベル化学賞1902

K

スヴァンテ・アウグスト・アレニウス
Svante August Arrhenius

スウェーデン
1859〜1927

物理化学の創始者。イオン解離の理論。アレニウスの式。数学者、物理学者
ノーベル化学賞1903

14名の出身国は、全て欧州であるが、できる限り当時の正式国名とした。オランダは正式な国名ではないが、日本における通称とした。神聖ローマ帝国以降のドイツの各国の国名は、日本の戦国時代の国名のように複雑であり、正確ではないかも知れない。