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B蒸留分離と気液平衡 | |||||||||||
酸素は、水の電気分解ではなく空気の蒸留分離で製造されている。地球上にいかに大量の水が存在し、その中に水素原子と酸素原子が含まれていれも、それを分解して酸素を取り出していては莫大なエネルギーを要するので、安価で大量の酸素製造は、空気を原料とする分離法しか現実的ではない。 空気の分離法には吸着法、膜分離法、蒸留分離法があり、その中で最も効率的で大量の酸素を製造できる方法は蒸留法であることを示した。(→(2)空気を分離する方法)。しかし、ここまで分かっていても、この先に、しばしば大きな誤解が生じることがある。蒸留分離とは混合物の気液平衡を利用する非常に簡単な分離法であるが、その仕組みがうまく伝わらずに、誤った説明がしばしばなされる。 |
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「沸点差で分ける」、「沸点の違いで分ける」、「液体空気を作ってこれを分離して液体酸素と液体酸素に分ける」、等といった実際の空気分離の仕組みとは全く異なる説明を見かけることがある。 | |||||||||||
(a)「沸点の違いで分ける」という説明 | |||||||||||
実際の空気分離は、気体の空気を原料に、混合物(空気)の気液平衡を利用しているが、これを簡単に説明するのが難しいと感じ、酸素や窒素の沸点の違いで説明しようとする人がいる。 | |||||||||||
物質によって沸点が異なるという物性、「沸点の違い」は、昔から知られている。沸点が物質によって異なるということはガブリエル・ファーレンハイトが最初に発見した。 そして、異なる物質が混じって混合物になった液体では、純物質が低沸点のものの方が蒸発しやすいのではないかと考える人も多くいて、実際にそのような傾向が多くみられたため、「沸点の違い」によって分離ができると考えられた。石油の蒸留塔の説明では、しばしば、「沸点の違いによって分離する」という説明をみかける。酸素の方が窒素よりも沸点が高い。 |
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沸点が異なっていても分離できない組み合わせも存在するので、現象の説明としては不正確ではあるが、それでも何となく沸点の違いや利用できる例が多い。混合物中の沸点が低い成分「低沸成分」は、沸点が高い成分「高沸成分」よりも気相中に濃縮しやすい傾向があるので、あながち間違っているとは言えない。 | |||||||||||
一般的には、「純物質の沸点が低い方が混合物中でも蒸発しやすく」、「純物質の沸点が高い方が混合物中でも液化しやすい」傾向にあるので、それぞれ「混合物中の低沸成分」、「混合物中の高沸成分」と呼ぶので、蒸留とは、混合物を沸点が異なることを利用して分離する操作であるという説明が多くなる。しかし、系とその条件によっては、気液平衡状態において気相と液相の組成が等しくなる「共沸」という現象も知られている。 よく知られる例では、水−エタノール系がある。標準気圧における沸点は、水が100℃、エタノールが78.3℃であるから、エタノールの方が「蒸発しやすい」と思われるが、ある濃度になると液相中と気相中のエタノールの濃度は等しくなる。蒸発しやすいはずのエタノールと蒸発しにくいはずの水が同じ挙動を示すため、それ以上の濃縮ができなくなり、96wt%以上のアルコールを含む蒸留酒は製造できない。水−塩化水素系にもこのような混合物があり、これらは共沸混合物と言われ、各成分の沸点が異なっていても、蒸留では分離できない。 |
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(b)「蒸気圧の違いで分ける」という説明 | |||||||||||
「蒸気圧の違い」を利用するという説明は、もう少し正解に近い。理想溶液に関する「ラウールの法則」があり、これは「混合溶液の各成分の蒸気圧は、それぞれの純液体の蒸気圧と混合溶液中のモル分率の積で表される」というものである。実在する物質の説明としては正しくないが、窒素の蒸気圧は同じ温度の酸素の蒸気圧よりも高いので、混合液体の蒸気は、蒸気圧比で分配されるということになり、気相中の窒素濃度が高くなり、これを利用して蒸留分離ができるといった説明もなんとなくできる。これは、もしラウールの法則が成り立てば、ということであるが、液体空気は、理想溶液ではなく、低温空気も理想気体ではないので、分圧という概念も成り立たない(ラウールの法則は成り立たない)。 | |||||||||||
(c)「窒素が速く蒸発する」という説明 | |||||||||||
液体窒素が「速く蒸発」し、液体酸素は「蒸発が遅い」とするという説明も気液平衡の説明としては間違っている。蒸発が速いか遅いかは、周囲の環境との間の熱の移動に伴う輸送現象の結果である。 それぞれの物質の物性が異なり、伝熱、物質移動の結果、蒸発する速度に違いが生じている。混合物である液体空気を放置すると、窒素が速く蒸発し、残った液体中には酸素が濃くなっていくが、蒸発の速度が気液平衡を説明しているのではなく、気液平衡と物質移動の結果、濃縮が進むのであって、原因と結果が逆である。 これで蒸留分離や気液平衡を説明することはできない。 |
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(d)空気を液化するとできるのは「液体空気」 | |||||||||||
空気が蒸留によって分離できるのは、気体と液体が共存し平衡にある時、気液の組成が異なるという性質(物性)「気液平衡」が利用できるからである。 ある物質が気体あるいは液体の状態にある時、分子の状態は、分子間力を用いて説明されなければならない。したがって、窒素ガスであれば、窒素−窒素の間の分子間力、酸素ガスであれば、酸素−酸素の分子間力で説明され、液体窒素中の窒素、液体酸素中の酸素も同じように分子間力で説明される。 空気は、酸素−窒素−アルゴンの混合物であり、それぞれがある濃度で含まれているもの全てを「空気」と呼んでいる。大気の最下層にある空気(対流圏)は、酸素が21%、アルゴンが9300ppm、残りが窒素と大まかに組成が決まっているが、空気の蒸留装置の中の空気は、酸素の濃度がゼロに近いところから純粋な酸素に近いところまで様々である。空気の中の酸素分子の周りには、同じ酸素分子があることも、窒素分子やアルゴンがあることもある。気体が液体になるということは、分子間力が大きくなって、分子が動きにくくなる状態であるから、空気が液化するときの分子間に働く力は、窒素分子、酸素分子、アルゴンが交じり合った状態での相互作用である。 したがって、窒素だけ、酸素だけの気体の分子間力と空気の分子の分子間力は全く異なっているということが理解できる。たとえば、液体窒素中の窒素分子と液体空気中の窒素分子では、その周囲にある分子が異なり、挙動が全く異なるので、液体空気は液体窒素の物性を受け継いではいない。1atmの窒素ガスは、77Kにならないと液化しないが、空気は、これよりもはるかに高い温度で液化し、その液体空気の中には、窒素分子も含まれている。要するに、空気を液化してできるのは(平衡組成を持つ)液体空気であって液体酸素ではない。 非常に困ったことに、高校の理科や大学の実験テキストなど、それなりにまともな教育現場でも、「空気を冷やすと酸素だけが液化する」という説明を見かけることがある。 |
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(e)「沸点差で分ける」という説明 | |||||||||||
「沸点」という専門用語を使っているため「沸点差で分ける」という説明は、もっともらしく聞こえてしまい、「沸点差」という専門用語があるかのようであるが「化学工学用語事典(1967年版)」にはそのような項目はない。沸点の違い、蒸気圧の違いなど、なんとなくぼんやりとした説明でも怪しいが、「差」という数字を持ってこられると、これは明らかに説明がおかしいと言うしかない。
圧力1atmの時の酸素の沸点が90K、窒素の沸点が77Kである。この2つの数値は比較的よく知られている。しかし、この二つの物性値の「沸点差」13Kには科学的な意味がない。これを利用することもできなければ、これで分離の仕組みを説明することもできない。酸素や窒素だけでなく、異なる物質の「沸点」を引き算することはできない。 酸素と窒素の「沸点差」で分けるというのでは、気体混合物の液化の仕組みや空気分離のプロセスを誤解させる。そもそも事典にものっていない用語を作るというのは、少なくともプロのガス屋がやってはいけないひどい説明である。 |
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(f)空気の気液平衡 | |||||||||||
気液平衡は、熱力学における平衡のひとつであり、気体と液体が共存して平衡状態にある時に、気相と液相では組成が異なるという現象が多いということがよく知られている。これを利用して目的成分を分離濃縮するのが蒸留(蒸留操作、蒸留分離)である。 「気液平衡」は、熱力学で取り扱われるが、化学工学(蒸留工学)のテキストでもよく取り上げられるので、用語としては比較的よく知られている。しかし、実務的には、蒸留装置の設計者や物性の研究者でなければ、気液平衡の詳細まで知る必要がないため、工業一般では、あまり議論されることはない。気液平衡を専門にする研究者からみれば奥の深い分野であるが、ここでは、空気の場合の考え方だけを示すことにする。 |
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図に、気液平衡の概念を示す。容器の中に液体空気と気体空気があり、平衡状態にあるとする。 実際の容器では、容器の上と下では圧力が異なり、温度も一様になることはほとんどないので、気液が接触しているところ(気液界面)だけを気液平衡と考えるのが正しいが、ここでは、容器全体が同じ温度、圧力、平衡であるとする。なお、実際の低温液化ガスの貯槽では、容器の上部と底部は圧力が異なり、この圧力差を用いて液面の高さを測定している(液面計の実体は差圧計である)。 厳密な相平衡を定義するには、化学ポテンシャルあるいはフガシティ(実在気体を取り扱いやすくするために導入する仮想の圧力)で表現しなければならないが、ここでは、「系全体の温度、圧力が等しく、気液の量、それぞれの組成が変化しない、熱力学的な平衡状態」にあるとする。分子は運動しており、液体は蒸発し、気体は液化してい |