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第51回 1−4 空気分離

 2018/1/18

  (3)深冷空気分離  

A深冷空気分離の歴史
 19世紀末にヨーロッパで、深冷空気分離法が発明された。酸素や窒素の発見から100年後、ガスを液化する研究が行われ、1877年にルイ・ポール・カイユテ(フランス、18321913年)が酸素の液化に成功し、1890年には、ジェイムズ・デュワー(スコットランド、18421923年)が空気の液化に成功している。
 研究者・技術者は、空気の液化に成功すると、すぐに酸素を分離する装置の開発を始めた。この当時の低温工学の話しは、様々な書籍に著されており、オネス、クロード、ハンプソン、カピッツァなど数多くの著名人の名前が出てくる。空気分離の技術史については、参考文献に詳しい。「混沌の探求から生まれた 空気分離の技術変遷史」、ガスレビュー増刊「空気分離のすべて」(19929月)には、深冷分離法とPSA法による空気分離の歴史が非常に詳細に解説されている。
  ここでは、簡単に深冷空気分離装置の歴史を紹介する。
 (a)気体の研究と酸素の発見(→ 2−1−3 理想気体の科学(3)大気と空気@酸素の発見
   アントワーヌ・ラヴォアジエ(17431794年、フランス)が、燃焼現象を「燃焼とは物質と気体が結合すること」と説明し(1774年)、その気体を「酸素」と名付けた(1779年)が、酸素はその前に発見されていた(1775年)。
 酸素を発見したジョゼフ・プリーストリー(17331804年、イングランド)は、物をもやす「燃素」フロギストン説(phlogiston theory)に従って様々な空気(気体)の研究を行っていた。
 現在の化学では、原子と原子が組み合わされて分子が作られ、物が燃える時には、その原子が酸素原子と結びつくと理解されるが、フロギストン説では、物が燃えるという現象は、物質から燃素(フロギストン)が抜けるために起こると理解されていた。
   プリーストリーは、硝空気、減容硝空気、海酸空気、アルカリ空気、礬酸空気(ばんさんくうき)などの「空気」を単離し、『さまざまな種類の空気につての実験と観察』という研究報告を発表した。この5つの「空気」を現代の化学式で表すと、NONO2HClNH3SO2となるが、当時は、そのような様々な性質をもった空気が存在し、その反応はフロギストンで説明されていた。
 塩化水素やアンモニアなど水に溶けやすい気体は、発生させることができても、水上置換では容易に捕集できなかったが、プリーストリーは水銀による捕集法を考案して、様々な「空気=気体」の単離に成功していた。
 プリーストリーの研究報告の第2版(1775年)では「脱フロギストン空気」が示され、後にこの空気は、ラヴォアジエによって酸素と呼ばれるようになった。さまざまな「空気」が発見されたが、そのうちのひとつが酸素であった。
   プリーストリーは、一貫してフロギストン仮説を信奉して研究を行っていたため、金属を燃やした時に灰が残るのは、金属が燃えてフロギストンが抜けるためであると考えていた。要するに、金属は灰とフロギストンが結合したものということになる。
  ラヴォアジエが示した化学反応の基本は、金属が酸素と結合して酸化物(灰)になるという概念であるが、フロギストン説これとは正反対の理論であり、現在、われわれが「酸素」と呼んでいる物質は、空気からフロギストンを抜いた脱フロギストン空気であり、われわれが「窒素」と呼んでいる物質は、フロギストン化した空気がである。ラヴォアジエは、フロギストン説に反対する論文を提出(1785年)、フロギストン批判を展開し、化学に大きな革命をもたらした。ラヴォアジエの説が理にかなっていると考えた多くの科学者が、フロギストン説から反フロギストン説へと転向したが、プリーストリーはフロギストン説から抜け出ることはなかった。
   ラヴォアジエは、フロギストン説を打ち破り近代化学の礎を築くことに成功したが、酸素が「酸の素」であると考えてこれにオクシジェーヌ(酸の素)という名前をつけるという失敗をした。ラヴォアジエは、元素や化学物質の命名法を定めた主要な人物であり、ヘンリー・キャヴェンディッシュ(17311810年、イングランド)が、発見していた水を作る元素にはイドロジェーヌ(水の素、水素)という正当な名前を与えたが、酸素に関しては大きな間違いをおかした。
 「酸」とは、塩基と対になって働く物質であり、一般的には「水素イオン」である。酸素と酸は関係ないことが、後年判明したが、元素の名前「酸素」は訂正されることがなかった。フロギストン説を覆し近代化学の礎を築いたラヴォアジエであるが、彼によって間違えて命名されてしまった「酸素」は、240年たった現在も、世界中の言語に定着しており、今後も変わることがない。中学や高校の理科の時間に「酸素の酸」と「塩酸の酸」が同じ文字「酸」を使うのに両者には化学的な共通点がないことに気づいて不思議に思う。
    プリーストリーが、酸素の存在を実験的に確認したのが1771年、酸素ガスを単離したのが1774年、研究報告が行われたのが1775年であるから、学術的には酸素の発見は1775年であるが、英国における「酸素発見記念日」は177481日である。
  酸素発見100周年を記念して始まったプリーストリー賞がきっかけとなって米国に化学会(学会)が発足、米国化学会では毎年、化学分野における卓越した業績に対してプリーストリー賞を授与、酸素を発見したプリーストリーの名前は化学史に大きく残っている。
  酸素発見の歴史
 
1660年頃 ジョン・メーヨー(16401679年、イングランド)が、血液の研究から空気中に酸素があることを示唆した
1773 カール・ヴィルヘルム・シェーレ(17421786年、スウェーデン)が「火の空気」(酸素)を発見した
シェーレは、プリーストリーよりも先に酸素を発見していたが、発表が遅れたため最初の発見者としては記録されなかった。本業は薬剤師であり新元素バリウムを発見しているが、学者にはならなかった。