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第37回 1−2 産業ガス(industrial gases)
 2017/12/26
      

工業ガスと産業ガス(industrial gases/ industrial gases and medical gases)

 日本では、燃料以外の産業用のガスを、昔は「工業ガス」と呼び、現在は、「産業ガス」と呼んでいる。英語では、工業ガスも産業ガスもindustrial gasesであり、違いはない。
 日本語の「工業」は「製造業(manufacturing industry)」を意味しており、最初の主なガスの供給先が製造業であったため、industrial gasesを工業ガスと訳すのが適当であった。しかし現在、ガス屋がガスの供給先としている産業分野は、第一次産業(農林水産)から第二次産業(製造、建設、電気・ガス・水道)、第三次産業(情報通信、金融、運輸、小売、サービス)まで「産業(industry)」全体である。英語では同じ industrial gasesであるが、工業(製造業用の)ガスというよりも、産業全般のガス「産業ガス」の方がよさそうである。
   一方、ガスは古くから「医療ガスmedical gases」としても用いられてきた。酸素を発見したプリーストリーは麻酔ガスの合成でも知られており、ガスには何か医療効果があると考えられ研究されてきた。18世紀は、まだ気体という概念は空気だけであり、異なる種類の空気が生物や人体与える影響が調べられており、麻酔ガスもそのような空気のひとつと考えられていた。
 現在も呼吸用ガスや麻酔ガスのような医療用ガスが利用されている。医療用ガスは、燃料ガス業界ではなく産業ガス業界が取り扱う商材である。
 医療も産業の中に含まれているので医療用ガスも含めて産業ガスと呼んでもよいと思われるが、歴史的経緯もあって、現在の国内の産業ガス業界を代表する団体の名称は、「日本産業ガス・医療ガス協会」(英語名はJIMGA、Japan Industrial Gases and Medical Gases Association、「ジムガ」)となっている。この名称では、「産業ガス」の中に「医療ガス」が含まれるのではなく「産業ガス」と「医療ガス」は並列である。
 医療ガスの商材には、MRI装置に用いる液体ヘリウムやPET診断用の薬剤の原料である酸素18安定同位体(H218O)のような医療用途や研究用途の産業ガスと、人体に直接使用する医療用ガス(麻酔用笑気ガス、人工空気、呼吸用酸素など)がある。一般の産業ガスの製造・供給は、高圧ガス保安法の規制を受けるが、医療用ガスの場合は、さらに、薬事法の規制を受けることになる(医薬品ガスと局方外医薬品ガス)。
   なお、産業ガスの業界は、「鉄鋼業」や「自動車産業」のように呼ぶと、産業ガス業、産業ガス産業となり、日本語として分かりにくいので、ここでは、「産業ガス業界」あるいは単に「産業ガス」と呼ぶこととし、産業ガスには医療ガスも含まれることにする。「産ガス」と縮めることもあるが、天然ガスの生産国や輸出国を意味する「産ガス国」の産ガスと紛らわしいため、ここでは縮めないことにする。
ガス屋の名称
   ガスは、英語の「gas」やドイツ語の「Gas」がそのまま日本語になっている。スペイン語gas、フランス語gazなど、ほとんどの言語でほぼ同じ言葉が使われている。中国語では、日本語の字体とは異なるが「気体」を用いるので、「気体公司」や「気体容器」「医療気体」などの言葉がみられる。日本語でもガスを「気体」と書くことができ、ガスと気体の両方の言葉が様々なところで用いられている。特にルールがある訳ではなさそうであるが、業界としては「産業気体」ではなく、「産業ガス」と呼び、企業名には「気体」を使わずに「ガス」または「瓦斯(がす)」を使うことが多い。
   企業や団体名に、日本語の気体ではなく外国語のガスを用いるということが一般的になっているということは、ガスが既に外国語ではなく日本語になってしまったと考えることができ、ガス屋は、いわゆるカタカナの会社ではない。なお漢字の「瓦斯」は当て字であるが、正式な社名(商号)にこの文字を使用し、通称名としてカタカナの「ガス」を併用する会社も多い。
 ガスは、通常は不可算名詞であるが、種類を表わす場合は、可算名詞になるので、Industrial Gases and Medical Gasesのように複数形として用いられる(「ガシズgases」)。
   前述のように、ガスは一般的には、燃料ガスであるため、企業や団体の名前が「○○ガス」「○○瓦斯」となっていれば、多くが、都市ガス供給会社・公社やLPG供給会社である。都市ガスであれば、大手が、東京ガス、東邦ガス、大阪ガス、西部ガス(さいぶがす)の4社あり、全国には、約230のガス事業者(一般企業および公営企業)がある。いずれも特に「燃料ガス」という名称は使っておらず、単に「ガス」と呼ぶ。
一方、産業ガスの会社の場合、現在は多様な商材を取り扱っているが、起業時には、空気を原料とした酸素ガスあるいは窒素ガスの製造・販売を主業務とした会社が多いため、社名には「酸素」や「空気(エアー)」の文字が多い。世界初の産業ガスの会社は、ブリン兄弟が興した英国のBOC社(ブリン酸素、Brin's Oxygen)である。BOC社はその後、イニシャルはBOCのまま、British Oxygen(英国酸素)となった。企業名に「酸素」という元素名を用いるのは、現在では珍しいが、昔は多くあった。日本でも古くからある産業ガスの会社には、帝国酸素、日本酸素など、社名に元素名「酸素」が使われていた。
   米国には、APCI社(Air Product & Chemicals、エアプロダクツ社)、Prax Air(プラクスエア社)があり、こちらは「空気」を社名に使っている。社名に「酸素」の文字がある場合は、ほぼ産業ガスの事業会社が思い浮かぶが、「空気」の場合は簡単ではない。
  多くの航空会社が社名にAirを用いており、空圧機器(圧縮空気を用いる産業用機械)を取り扱う会社も多いため、社名に「空気」があるだけでは業種が判読が難しい。そこで、企業名に空気を使う産業ガスの会社の場合は、liquid 、gas、cryo-、chemical、液化、などの産業ガスを連想させる言葉と組み合わせることが多い。
   たとえば、Air France(エール・フランス)はフランスの航空会社であるが、Air Liquide(エア・リキード)はフランスの産業ガス会社である。空気のairは、英語でもフランス語でも綴りが同じ、液体は、英語のliquidとフランス語のliquideがよく似ているので、フランス語を知らなくても英語の連想から「液体空気」という言葉が会社名になっていることが分かる。
  液体空気の意味が分かれば、航空会社や空圧機器の会社ではなく、産業ガスの会社であることが分かる。なお、エア・リキード社は、かつては、フランス語表記、L'Air liquideが使われ、日本でも、レールリキッド社と呼ばれていたが、現在は、英語読みが普及しており、エア・リキード社と呼ばれる。
   世界の産業ガス企業の中では、フランスのエア・リキード社のグループとドイツのリンデ社のグループの2つの規模が大きい。それぞれ、クロードとリンデという空気分離装置を発明した科学者が創業したものである。前者は「液体空気」を社名に、後者は創業者の名前を社名にしている。日本や米国にある産業ガスの企業各社の成り立ちは、このフランスとドイツの2社が現地法人として設立したもの、あるいは、地域資本が、その技術や事業手法を導入して作ったものである。

産業ガスとセパレートガス

    産業ガスの主要な製品は、空気を分離することによって製造される酸素、窒素、アルゴンである。これらのガスを、業界では「エアセパレートガス」あるいは「セパレートガス」と呼び、産業ガスビジネスの基本は、セパレートガスを製造し、これらのガスを圧縮して配管や容器で顧客に供給することである。
 「セパレートガス」の事業は、石炭などから作られる「合成ガス」や地下資源として採取される「天然ガス」ほど広くは知られていないが、欧州で発明され、すぐに米国と日本に伝わった100年以上の歴史を持つ産業である。
   製造業というと、機械を組み立てたり、化成品を合成したり、様々な材料を加工することを思い浮かべる人もいるが、分離(セパレーション)も非常に重要な製造業である。鉄鉱石(酸化鉄)を還元して鉄を分離したり、ボーキサイトからアルミニウムを分離したり、海水中から塩を取り出したり、空気から酸素を分離したりするのも重要な製造業である。ものづくりの中には、このように分解や分離してより純粋な物質を作り出すという産業が不可欠であり、様々な加工や合成を行う産業に対して素材を供給する役割が大きい。空気を分離してセパレートガスを作ることを「酸素の製造」「窒素の製造」などと言う。
    産業ガスの会社には、セパレートガス事業以外の事業として、複数のガスを混合・調整して溶接シールドガスや合成空気として利用する「混合ガス」の製造があり、ガスを液化あるいは液化ガスを再ガス化させて供給する「高圧ガスの製造・供給」がある。混合ガスの製造も高圧ガスのハンドリングも基本の技術は、セパレートガスの製造から派生したものである。
 さらにガスを利用する技術そのものも商材であり、たとえば、溶接・溶断技術、燃焼技術、半導体の製造装置、低温ガスを利用した凍結・貯蔵装置・技術などを提供している。このようなガス利用技術やガス周辺機器を「ガス・アプリケーション」と呼んでいる。通称は、ガス・アプリではなく「ガス・アプ」という。ガス・アプは、ガスの市場を拡大するための、ガスの利用技術(ツール)でもある。
産業ガスと高圧ガス
    産業ガスは、圧縮された高圧ガスとして、貯蔵、輸送、販売されるため、規制する法律は「高圧ガス保安法」とその関連規則である。
 産業ガスを高圧ガス、産業ガスの事業会社を高圧ガスメーカー、高圧ガス販売者と呼ぶこともあり、産業ガス業界は、高圧ガス業界と呼ぶこともできる。
 高圧ガス保安法は、高圧ガスによる災害を防止するための法令であって、「高圧ガスによる災害を防止するため、高圧ガスの製造、貯蔵、販売、移動その他取扱及び消費並びに容器の製造並びに取扱等、広範囲に規制」する。
 以前は、高圧ガス取締法と呼ばれていたが、取締法と言うと社会に対して何か危険なものを一律に取り締まるための法令を連想する。1997年に、高圧ガスを安全に取り扱うための法令として高圧ガス保安法と改題・改正されている。産業関連の法令としては、電気用品取締法や高圧ガス取締法などが、近年になって保安法と名前を変えているが、毒物及び劇物取締法や農薬取締法、肥料取締法などは現在もそのままの名称である。
  法に基づいて設置される独立した第三者民間機関として「高圧ガス保安協会、The High Pressure Gas Safety Institute of Japan、通称KHK」がある。